3月8日、土曜日の午後、Finsbury ParkにあるPark Theatreで見ました。
翌日には旅立ってしまうので、夜の部とか、あまり長くて重いのは見れない、けどやっぱりなんか見たい、で休憩なしの約80分のこれを。シアターが2つあって、Park90っていう小さい方のシアターで、座席はすべて自由。ほぼ埋まっていた。
原作はこないだ見た映画”We Live in Time” (2024)とか、未見だが劇作の”Constellations”を書いたNick Payneによる2011年の作品(初演も同年)、演出はJames Haddrell。 男女のふたり芝居。
1942年のバースで、ホテルの客室のベッドにふたりの男女 - Leonard (Barney White)とViolet (Cassie Bradley)がいて、彼と彼女は結婚はしていないようで、彼の方は翌日に戦地に赴くので、これがふたりで一緒にいられる最後の晩になるかもしれない、ということで立ったり座ったり窓辺に行ったり着たり脱いだり落ち着かなくて、どちらも将来に孤独と不安を抱えていて、互いに思いを決めて飛び降りるように「やっぱり…」ってなったところで窓の外で爆発が起こって、これが後の歴史に残るベデカー爆撃であった、と。
次のシーンは、The Beatlesの”Love Me Do”が流れてくるのでそこから約20年後、遊んでいる子供たちの声が響いてくる公園のベンチで、ふたりとも少し歳をとって、ふたりの子供がいるというVioletはしきりに電報のことを気にして立ったり座ったりを繰り返す。気にしなければいけない家族がいるけど、こちらの方も気にしたい/気になってしまうふたりが、どこにも行けないまま、子供のように遊ぶこともできないまま、公園でじりじりした時間 – そのまま離れてしまいたいような/でもずっとそこに残っていたいような – を過ごしていく。
次のシーンは、流れてくる音楽で年代がわかるのだが、Tears for Fearsが聞こえた、と思ったらBlurとかまで行って、2002年頃、前のシーンから約40年後、最初のシーンから60年後で、場所は老人Leonardがひとりで危なっかしく暮らす殺風景なフラットで、そこにVioletがひとりで訪ねてくる。始めのうちはよく来たねーとか、互いの健康のこととか近況とかをぼそぼそ言い合ったりするだけなのだが、ふたりでジャファケーキを食べた辺りから、ヒューズがとんで部屋が真っ暗になった辺りから、ふたりのなかで、或いはふたりの間に、何かが立ちあがったように見えて、ふたりとも言葉を失ったり濁したりして、何が起こったのかよくわからないまま立ちすくんでいる、という…
戦時下に出会って愛しあい一緒になる手前まで行ったふたりに、そこからの20年、40年、計60年間でどんなことが起こったのか、詳細が綴られることは勿論ないし、その間ずっと互いが互いのことを強く思っていたとも思えない。ただの断面でも、それでもふたりが再会して顔を合わせた時に蘇ってくる、現れてくる何かは確かにあって、それって何なのだろうか、と。
そういう経験をしたことがなくても、ふたりの繊細な演技と会話からそういうのってきっと起こる、というのはわかるし、そうなんだろうな、って思う(根拠ないけど)。”One Day When We Were Young” – 振りかえった「ある日」のふたりはいつも(今よりは)若い。 考えてみれば当たり前のことなんだけど、そんなある日があるだけで、なにが、どんなふうに違って見えるのかしら? という振りかえり、というのか、その先を見てしまうのか、いや、見つめてしまうのは時間ではなくてあなたなのだ、と。
難病や死によってぷつんと断ち切られてしまう関係ではなく、ずっと微妙な思いを抱えたまま延びて続いていく、そういう関係、とも呼べないような優しい眼差し、そこに浸る時間、ってなにがどうなるものでもないけど、灯りとしてある。
ふたりともぜんぜん知らない俳優さんだったが、若い頃から老いた頃まで丁寧に演じていてすばらしかった。
ああPJ Harvey行けなかったよう…
3.18.2025
[theatre] One Day When We Were Young
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