3月20日、木曜日の春分の日、シネマヴェーラのSamuel Fuller特集で見ました。
監督はPhil Karlson、原作はまだスクリーンライターだった時代のSamuel Fullerが書いた小説”The Dark Page”(1944)。 この頃の彼は第二次大戦の歩兵だったと。
やり手の編集長Mark Chapman(Broderick Crawford)の下、ケバケバのスキャンダル記事をメインに据えたら部数を伸ばして快調なNew York Express紙が勢いに乗って独身者向けのパーティ(ここで出会って結婚したら家電を!など)を開いて盛りあがっていると、会場にいた初老の女性がMarkに声をかけてきて、Markはかつて妻だったらしい彼女を捨てて名前を変えて現在の地位にのしあがったことがわかり、揉めてもみ合っているうちに彼女は頭をぶつけて死んじゃって、彼は指輪を処分して彼女の持っていた質札も処分しようとするのだが、それが飲んだくれの元新聞記者 - でも推理は冴えている - に渡ってしまったので、取り返すべく次の殺人が起こって…
うちが主催のパーティで起こったこんなネタ、部数伸ばすのに恰好かつ最適じゃん、とMarkに育てられた若い記者Steve (John Derek)と社の方針についていけなくて辞めようと思っているJulie (Donna Reed)が動きだし、亡くなった女性の持っていた写真に写っていた男(若い頃のMark)の正体を割り出していくと…
部下が事件を掘り下げて、容疑者特定に近づけば近づく程、部数は伸びて株主も(配当があるから)盛りあがって、その反対側で追い詰められたMarkの焦りはじりじりと焦げて広がっていって…
あんま期待していなかったのだがすごくおもしろかった。前の週に見た”Park Row” (1952)と併せてジャーナリズムとは、で突っこんでいくとここまで行ってしまう、という暗黒篇というか。どっちにしても泥まみれで楽な仕事ではなさそうだけど。
パーティの雑踏とか、酒場のごちゃごちゃの捉え方がよくて、これらとラストシーンの夜のオフィスのだだっ広い空間の対比とか。
あと、やはりDonna Reedが素敵。
Underworld U.S.A. (1961)
3月16日、↑のに続けて見ました。邦題は『殺人地帯U・S・A』。
The Saturday Evening Postの1956年の記事を元にSamuel Fullerが脚色・監督したもの。彼特有の粗さ、暗さ、猛々しさがノンストップでぶちまけられていく。
14歳のTolly Devlinは街をふらふらしている時に父親が4人のギャングに殺されるとこに出くわして、その中心にいたVic Farrarが刑務所にいることを知ると自ら犯罪を繰り返して刑務所に入り、そうして大きくなったTolly (Cliff Robertson)は、終身刑をくらっているFarrarに近づいて、彼が亡くなる直前に残りのギャング3人の名前を聞きだして、シャバに出てからギャングの内部に入りこんで大物になっている3人に近づいていって、他方で警察にもコネを作って両方からの情報を掴んでうまく捌いて、ひとりまたひとりと消していくのだが…
復讐を誓ったものが、それを実現するために地下に潜って、時間をかけて裏社会でのし上がっていくお話しで、でも結局はコネと人脈とそれらの使いよう(あと努力)、みたいなところにおちて、そういう点ではUnderworldもOverworldもそんなに変わらないのかも。母親的な存在のSandy(Beatrice Kay)も、情婦的な存在のCuddles (Dolores Dorn)のモデルのようなありようも含めて。
その説得力の強さ、迷いのないTollyの輪郭の太さは末尾に”U.S.A.”って付けても違和感のない汎用性普遍性を湛えている、と思う反面、あんまりにも極太ゴシックの男社会絵巻なのでちょっとしんどい気はした。昔のヤクザ映画なんてみんなこんなんじゃん、と言われればそうなのだが。そして、どっちみち破綻してほれみろ、なのだが。
他方で悪も正義もなく(見えない映さない)、復讐/敵討ちの情念でなんでも突破しようとする、それが万能で、説得力をもって認められ許されてしまう世界ってずーっと今に続いていて、これってなあー。
Samuel Fuller特集のはここまで。 ちょっと物足りなかったのだが、どれもぜんぜん古いかんじがしなかったのはさすが。何回見ても新しい。
3.25.2025
[film] Scandal Sheet (1952)
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