3.16.2025

[film] We Are Fugazi from Washington, D.C. (2022)

3月5日、木曜日の夕方、Picturehouse Centralで見ました。

どういう事情、背景によるものかは知らぬが、Doc’n Roll Filmsが主催しているイベント?で、この日の夕方一回きりの上映が英国各地のPicturehouse のチェーン館で同じ時刻に行われて、今後も5月くらいまでかけて単発の上映はしていくらしい。Fugaziの(現時点での)最後のライブである2002年のD.C.でのそれから20年後に制作された96分のこの記録(non-documentaryである、とのこと)が、なぜ今、突然にリリースされたのか、収益はチャリティー団体に行く、等の点も含めてわかんないけど、とにかく見る。

一回きりの上映だからといって、Fugaziだからといって、20年以上活動を停止しているバンドのライブ映像上映に客が殺到することなんて勿論なく、中サイズのシアターはいっぱいにならなくて、客席は中年以上の年寄りだらけではあったが、そんな程度のことでうだうだ言うやつはIan MacKayeに言いつけてやる。

ファンが各々勝手に撮った(このバンドはライブでの録音録画を禁止していない)ライブフッテージを寄せ集めて繋いだだけのもので、だから”directed by xxx”ではなく、”curated by” Joe Gross, Joseph Pattisall, Jeff Krulikとなっている。

なので最初は映像を撮った各撮影者へのインタビューなどがあって、どうしてライブの映像を撮るようになったのか、とか、Figaziに対する思いとかを語って貰ったり、撮影者の中にはD.C. パンクシーンのドキュメンタリー - “Salad Days” (2014)を撮ったJim Saahなどもいて、撮影者も素材もばらばらなのに全体のクオリティはじゅうぶん、見事に保たれている。

というか、そもそものFugaziというバンドが、そのライブが、突出しているので真横から、真下から、どこからどう撮られようがFugazi、としか言いようのない強さ粗さで迫ってきて、その紙ヤスリに削りとられていく鼓膜の感触だけでたまらない。Sex PistolsもRamonesもClashも、自分にとってパンクでもなんでもなくなってしまったいま、ノスタルジーもなんもなく擦れっからしのコンクリの床を、その足下を見つめさせてくれる。SNSや配信で流れては消えていく泡みたいなライブ映像とは、その感触もトーンもやはりぜんぜん違う。

ライブの日付は初期の80年代末から90年代初のD.C.近辺のものがやはり多く、ラストは2002年の、今のところ最後となっているライブで閉まる。客席やステージの端から固定で捉えているせいもあるのか、バンド4人 - Brendan Canty, Joe Lally, Ian MacKaye, Guy Picciotto - の輪郭がぶっとく、ギターアンプが飛んでも、会場全体の電源が落ちても、平気な顔で演奏を続けるし、モッシュで客の頭を踏んづけたガキに延々説教してるし、ああぜんぶFugaziだわ、しか出てこない。あと1曲だけ、Dischord Records仲間のAmy Pickeringさんがヴォーカルをとっている映像があり、異様にかっこよいったら。

あとこれもファンの撮った映像でライブ後にIan MacKayeが喋っているの(インタビューという程のものでもないか)があって、その隣に彼のママ - もかっこよし - がいたり。

アメリカの政治が、文化が、かつてない危機を迎えている今(じつはずっとそうだし、どの国だってそうだけどね)、音楽に政治をぶちこんで全面戦争に持ち込まないとだめよね、という危機感を思いっきり煽ってくれてよかった。


I Am Martin Parr (2024)


少し前になるが、2月19日、水曜日の晩、CurzonのSohoで見ました。 ↑とタイトルが似てるかなって。

Martin Parr (1952-)は英国の写真家で、Magnumのメンバーで、英国の田舎や郊外に暮らすそこらの人々の日常をぺったんこのカラーで撮らせたら流石で、その写真は、誰もがどこかで目にしたことあるのではないか。彼の写真と出会ったのはNational Maritime Museumで2018年にあった”The Great British Seaside”っていうイギリスの海辺風景を撮った集合展で、それがすごく面白かったの。最近だとパリのL'INAPERÇUっていう本屋で彼のキュレーションによる英国・アイルランドの写真集を特集していて、すてきなのがいっぱいあった。

公開日前のプレビューで、夕方の早い方の回には監督と一緒のトークとQ&Aが付いていたのだが、自分が見た夜遅い方の回はイントロだけ。それでも椅子に座って結構お話ししてくれた。

68分の長さで、Martin氏によると、90分を超える映画なんて自分には耐えられないから、と。映画はそんな彼が日々街中で撮影していく姿を追っていて、それだけなのにおもしろかった。街中をふつうに杖をついてよれよれ歩いていて、被写体を見つけると後ろから寄っていってパチリ、ってやるだけで、その姿だけでフィクションになりそうな妙なおもしろさがあるの。(やばくない)素敵なおじいさんだった。


時差ぼけの最終調整段階 = 眠くなったら寝る = いつもと同じ - に低気圧が襲ってきていいかげんにしろ、になっている。

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