朝4:30の車でヒースローに来て、これから朝のフライトに乗って日本にもどる (いつもの夕方の便は取れなかった)。朝のフライトでよいのはBAのラウンジのPorridge (おかゆ)で、今回の旅の歓びのピークはここまで。
これまでの人生、いつでもどんなときも日本に戻るフライトが楽しみ(!)になったことなんてなかったのだが、今回のは断トツの格別、1ミリも微塵も楽しくなれそうなことが出てこない。
日本には昨年11月にも、こないだの1月にも帰っているのだが、今回の滞在はものすごく長い。お彼岸に向かって、日に日に陽の沈むゆらゆらが遅く長く延びていく、ただの自然現象なのに、桜が咲くのよりもなによりも、なんともいえない虫の感覚でもって喜ばしく解れていくロンドンののろい春をライブで実感できないなんて、とてつもない大損をしている気がする。
前回の帰国のときは、それでも初めての検査入院とか、興味本位の前向きになれそうなことも少しはあった。
でも入院も検査も、最初はわああー、とか喜んでいたけど、あんなしんどくて辛くてぐったりするの、1泊で十分だと思ったのに今度のはー。(やっぱり健康がいちばん)
いまとなって不思議なのは、人間ドックでなんか見つかった時、前から怪しかったとはいえ、医師の勧めとか聞かずに知らんぷりで帰国してそのままにしちゃえば普段通りにできてよかったのに、どうしてそうしなかったのか? 根はまじめなよいこってことか、手術とかやってみたかったのか、どうせやるなら早いほうが、とか思ったのか。
もう少し若い頃であれば、どうせ死ぬなら早い方が、とか思っていたのだが、今はそっちの方に考えが向かない。というあたりが老いた(結果)と見るのか、だから老いたのだ(原因)と見るのか。
滞在が延びたり、戻ってこれなくなったら、お部屋に積んであれらの本はどうなっちゃうのだろう、とか、殆どがロンドンで手に入れたものなのでできればロンドンで捌きたいのだが、どこにどうやって、とかどうでもよいことばかり考えてしまう。
戻るのに気がのらないので、日本で何をやっているのか、何を見たいかとか、ぜんぜんチェックしていなくて、どちらかというと、こちらで最後に何を見ておくべきか、ばかり追っていた。
映画は生き延びていられればそのうちいつかどこかで、とあまーく思っているのだが(でももうじきのBFI Flareに行けないのは残念)、生ものに近い演劇はその時のライブだから、って思うことが多くなって、だからこの一週間は4月で終わってしまいそうな演劇ばかり見ていたのだが(あと、昨日の初日に見たNational Galleryの”SIENA”はすばらしかった)、改めて映画を見るのとは別の体力とか神経を使うものだねえ。
いまの東京だと、坂本龍一のがまだ間にあったら、と、ヒルマ・アフ・クリントと、目黒?でやっている黄金テンペラ画のと、映画はレオス・カラックスが来るらしいけどチケットは無理そうだし、『白夜』と成瀬とオリヴェイラと ← なんだかんだチェックしているではないか。
ただこれらも病院の検査とメンタル含めた体調次第だし、そうでない間はふつうに仕事できるはずよね、とされているのでひと揃え面倒くさい。これなら人里離れたサナトリウムのようなところ(なんてもうないか)でひとり読書でもできたら、なのだが、身体ばかりはどうしようも & 身体を動かさないことにはどこにも、の間でフリーズしてしまう。とにかく健康がいちばん。て言うのは簡単だけど老化は自然現象だし。
というものすごくしょんぼりの日々になってしまいそうですが、なんか書けたら書いていきまー。
3.09.2025
[log] March 09 2025
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。