3.12.2025

[theatre] Otherland

3月4日、火曜日の晩、Almeida Theatreで見ました。

原作はミュージカル”Standing at the Sky’s Edge” –未見- を書いたChris Bush、演出はAnn Yee – どちらも女性。キャストの8名もすべて女性。

冒頭、Jo (Jade Anouka)とHarry (Fizz Sinclair)のふたりが友人たちに見守られて結婚しようとしている。元気いっぱいのJoと落ち着いてしなやかなHarry - どちらも輝いていて、誰もがふたりは最強のカップル、と称えて歌って踊るのだが、そこから5年後、彼女たちは別れの支度をして一緒に暮らした住処を出ていこうとしている。 劇はその原因を掘り下げるのではなく、ふたりのその後を描いていくことで、何が起こったのか、というよりどうしてこうなってしまったか、を追っていく。

Harryはトランス女性で、パスポートの性と名前もHarrietに書き替えようとしていて、でもそれに伴う様々な困難 - 手続きにかかる手間と時間以上のものだけでなく、肉親であり同性である母親からも無理しないでやめれば? と言われたりで疲弊して、性のトランジションを巡る抑圧や差別偏見は本当に身近な人々からも来ることが明らかにされる。わかって貰える人が誰もいない、という孤絶感。

Joは、南米のマチュピチュのあたりをトレッキングしていて、Gabby (Amanda Wilkin)と出会って恋におちて、大好きなGabbyのためならなんでもしよう、と思うのだが、Gabbyが子供がほしいな、と言いだして…

どちらも女性ひとりではどうすることもできない問題がやってきて、どうするのかー、って。

次の幕では、ここの円形のステージの真ん中に水が溜められていて、そこに半魚人のような姿のHarryが打ちあげられるのと、Joはお腹に機械を埋めこまれたサイボーグで、その電流がばりばり流れていく機械のなかでGabbyの赤ん坊を育てている、という近未来(ぽい)設定になっていて、例えばふたりの置かれた世界(Otherland)がこんな設定であったら、というオルタナ世界が描かれていく。ただもちろん、これがバラ色の決定版/ユートピア!のような描き方ではなく、ここまで極端な方に振れ(振らさ)ないと解決の行方って見えないものなのか、ってちょっと下を向きたくなるかんじ(ひとによると思うけど)になるものでもある。

最初の幕の問題提起と次の幕の近未来での解決策の間のギャップを示すことで、今の女性が置かれたジェンダーと出産のあり(あらされ)ようを、それが特定の社会に止まるものではない、とてもパーソナルな次元での厳しさ難しさをもたらすものなのだ、ということを伝えようとしていて、それはGuardian紙にあったChris Bushのインタビューを読んだらより理解が深まった。30代になってようやくカミングアウトできたトランス女性であるChrisが、どうしてこの話を書く必要があったのか、彼女にとって演劇とはどういうものなのか、の洞察も含む、とてもよい内容なので読んでみてほしい。

という背景を知らなくても(知らなかったよ)、結末は – まったく逆のディストピアに落っことすこともできたであろうに - とても感動的なものになっている。その持っていき方に無理や強引さがないとは言わない - ケチをつける人は沢山いるだろう – けど、逆にここにある希望や暖かさは確かにあってよいものだし、こんなふうにして舞台と現実は繋がりうるものなのか、ということもわかったのはよかったかも。 男性に見てほしいものだわ。


日本に来ているのだが、花粉と湿気と低気圧でずっとしんどくて、今日の窓の外なんてどんより灰色のまるでロンドンで、楽しいことがひとつもないのでびっくりしている。
 

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