3月22日、土曜日の午後、↑の『流れる』に続けてシネマヴェーラで見ました。
上映後に岡田茉莉子さんのトーク、聞き手は蓮實重彦、ということで、今回の日本滞在中、ほぼ唯一のイベントっぽいやつ。立ち見になるかどうかのぎりぎりくらいだったが座れた。
原作は川端康成の新聞連載小説(1950-51)、脚色は新藤兼人。当時18歳の岡田茉莉子の、これがデビュー作である、と。
元バレリーナで、現在はバレエ教師をしている波子(高峰三枝子)が銀座で竹原(二本柳寛)とバレエを見ていて、そこを出てから波子は彼を引っぺがすようにして別れて、娘の品子(岡田茉莉子)と会って食事をしていると波子のマネージャーの沼田(見明凡太朗)が現れてねちねち絡んできて、ここまででどんな人物配置になっているのかが見えてくる。
波子には考古学者の地味な夫 - 八木(山村聰)がいて、彼との間に高男(片山明彦)と品子が生まれて約20年くらい、でも竹原とは結婚するずっと前から付きあってきて、子供が大きくなって手を離れそうで、自分がこれからどう生きていくか、を考えたときに、いろいろ内面とか良心の呵責などが湧いてきて悩ましく、それを察した八木は波子に意地悪く嫌味を言ったりぶつかってきて、それに高男が加担して、そうなると品子は母親の方について、家庭内の不和分断が染み渡って誰にも止められない。
そんななか、品子は高校時代のバレエの恩師香山(大川平八郎)が怪我をしてからバスの運転手をしていると聞いて穏やかではいられなくなり..
谷桃子バレエ団が協力したバレエのシーンはやや遠くからではあるがちゃんと撮られていて、バレエで表現される舞姫の魔界や煩悩、エモの奔流など、女性たちの揺れや狂いようが高峰三枝子と岡田茉莉子の見事な演技と共に精緻に重ねられていく反対側で、それらをドライブする(できると思いこんでいる)男性たちの一本調子の愚鈍さ、ろくでもなさはもう少しどうにかできなかったのか。 と思うのは、結局男たちがどれだけしょうもないクソ野郎であっても、表面の和解の後、のさばってなんのダメージも受けずに社会を渡っていける(と彼らは確信できるであろう)から。原作と脚本が「彼ら」だからか。それにしても山村聰って、教養もあって育ちもよいのに爽やかに粘着して相手を潰す、みたいな役をやらせるとしみじみうまいよね。
あと、バレエの公演中、見ている横から割りこんでなんか言ったりしても当然、と思っている(そういう脚本を書ける)神経がなんかいや。どうせ女子供の、って思っていて、自分はどこまでも冷静に事態を見渡せるんだ、って無意識的ななにかが。
全体としては暗くてブラックで舞姫がじんわり絞められていくお話しだったが、反対側の男たちの薄っぺらさが鼻についてどうにもバランスがよくなかったかも。
上映後、岡田茉莉子さんのトークは、これまで、吉田喜重と一緒のも含めて結構聞いてきて、でも今回の聞き手の人のは初めてで、どうなるんだろ? と思ったがなんだかんだいつもよりややつんのめった(つまり)いつもの蓮實重彦だったかも。
それにしても、東宝演技研究所に入所して2週間くらいでこれに出演して、演技について成瀬から特になにも言われなかった、っておそろしいし、実際高峰三枝子とのやりとりの滑らかなことったらすごい。『坊っちゃん』 (1953)は見なくては。
あさって日曜日から収容されてしまうのでしばらく更新はとまります。やだなあー。
3.28.2025
[film] 舞姫 (1951)
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