2月1日、土曜日の昼、IslingtonのVueっていうシネコンで見ました。
英国の公開日は1/17だったのに、もうロンドンの中心部ではない少し外れたシネコンで朝と晩の2回くらいしかやっていないのだった。
監督はRobert Zemeckis、共同脚本にEric Roth、原作はRichard McGuireの同名グラフィック・ノベル(2014)。原作本は出てすぐの頃にNYで買って転がして遊んだりした。
ううむやはりそうか(ちょっと安易すぎない?)、というかんじで、画面(スクリーン)はひとつの家のリビングの窓に向かって固定で、最後までほぼ動かない(最後の最後に少し..)。その固定の枠のなかに小さな窓ができたり開いたり、その窓が広がって画面全体を覆ったり縮んで消えたり、でも視野の枠はあくまで変えず変わらず。その枠のなかで先史の、古生物や恐竜がいて、隕石が降ってきて焼き尽くして氷河期がきて、原始人が現れて、ネイティブ・アメリカンがきて、独立戦争の時代になって、正面に邸宅ができて、大きなリビングをもつこの家が建って、リニアだとこんな流れになっていく景色を伸縮自在の小窓経由でランダムに行ったり来たりしていく。 恐竜や原始人の家族までカバーするわけにはいかない(なんでか?)ので、飛行士とその妻、リクライニングチェアを発明した男と陽気なその妻、主人公の2世帯の後に入居するアフリカン・アメリカンの家族(コロナが来て家族が亡くなる)、そしてメインに来るのは戦後、この家を買ったAl Young (Paul Bettany)とRose (Kelly Reilly)の夫婦と、その息子のRichard (Tom Hanks)、大きくなったRichardが連れてくる妻Margaret (Robin Wright)、間を置いてよぼよぼになったRichardが家を買い戻しにやってくるシーン、同様に老いてすべてを忘れてしまったMargaretを連れてくるシーンもあったりして、彼らがCGなのか特殊メイクなのか(… AIなんだって)、若い頃から老いた頃まで演じ分けて、でも別にこんなのを見せたいわけじゃないよね。
Alも息子のRichardも、家族のために自分の夢を捨てて、ふたりの妻たちはそんな夫たちに泣いたり振り回されたり、典型的な戦後のメロドラマ、家族ドラマのテンプレが展開される - その背景には不眠不屈のアメリカン・リビングがあり、そのリビングではサンクスギビングで家族親族が集まるディナーが懲りずに繰り返され、そういう最大公約数のようなところに集約されるアメリカの”Here”。みんなの記憶が集積される想い出アルバムのような造りで、でもそうやって懐かしまれる、あったあったねえー、ではなく、そういうページ、レイアウトされた歴史のありように気付く → 自分の”Now”に思いあたる、ということが原作本のコアにあったはずで、それは映像で説くのは難しいから、こっちのわかりやすい方に落としたのか、とか。
この導線ってやはり物理的な、キューブみたいな本だったからおおー、ってなったのではないか。
これが日本のだったら、溝口の格子模様(畳と障子)のなかに展開される、家父長制がちがちの金太郎飴的に明白なのができあがったはず(見たくない)。
これがイギリスのだったら、“Here”に幽霊から妖精からいろんなのが湧いてきてわけのわかんない、でも300年くらいそのまま同じ景色になるのではないか(見えるわ)。
Christopher Nolanがやったらどうなっただろう? まちがいなくあの本棚が”Here”になって、過去と未来は繋がっているので、いつまでどこまでいっても“Here”のままで止まってしまうの。でも本がいっぱいあるならずっとそこで過ごせるよ。
Tom Hanksのおうちネタといったら”The Money Pit”(1986)で、あれと同じことをやってくれるかと思ったのにー。
2.06.2025
[film] Here (2024)
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