2.13.2025

[film] Architecton (2024)

2月5日、水曜日の晩、BFI Southbankで見ました。

豚さんのドキュメンタリー(ぽい)”Gunda” (2020)がとても好きだったロシアのVictor Kossakovskyの監督作。

“Gunda”がナレーションとか特になくても、なんとなくどんなものか(どんなものだ?)わかったのと同じように、流れていく画面を追って見ているだけであっさり終わってしまう。

風景全体とか岩場まるごととか、スケール大きめ、って思わせる画面が続いていくからか、IMAXでも上映される回があった(これなら行けばよかった)。

岩石とか瓦礫とか廃墟とか廃材とか、そんなのばかりが流れていく。「自然」の光景というよりは、岩を切りだしたり積みあげたり、山肌を爆破したり、戦争で部分部分が穴だらけで人影のない建物(ウクライナだそう)とか、地震災害で破壊された建物(トルコだそう)もあり、自然を眺めるのと同じスケールで(視界まるごとを支配するように)そこにある、でっかい人工物(のなれの果て) - でも人間はほぼ映らない - がナレーションも字幕もなしに、次々と映しだされて、それだけなのに、スペクタクル!というか、よくもまあ… みたいなかんじにはなる。

もうひとつは仙人みたいなおじいさん(イタリアの建築家/デザイナーのMichele de Lucchiだそう)が、どこかの遺跡を見ていったり、自宅の庭に石を円形に並べてストーンサークルのようなものを作っていく(実際に作るのは大工のような人たち)様子も描かれる。

最近の映画だと”The Brutalist”があったし、あとJóhann Jóhannssonの”Last and First Men” (2020)とか、でっかくてブルータルな建造物の映画とか、爆破シーン(好きな人は必見)はMichelangelo Antonioniの”Zabriskie Point”(1970)の飛び散るとこを思わせたりするのだが、あれらよりはとても穏やかに厳かに、なんで人はあんな重い石を掘って、切り出して、運んで、積んで、賞賛したりうっとりしたりして、それをまたぶっ壊したりするのか/してきたのか、を考えさせる。それらはほぼ黒と灰色と茶色で、とても男性的な力強い何かを思わせる - 自分だけか? あと、木造建築についてはまったく別種のなにか、であることもなんとなく確認できてしまう不思議。

これらの建造物(or廃墟)は、少なくとも始めは人間のために造られ、建てられたものであったはず、なのに、(特に壊された後のほうは)人が立ち入ることを頑なに拒んで閉じてそこにある、建っているように見える。そこでは人が亡くなっているのかもしれない。ただの遺物、墓石、ランドアート? アートでよかったの? とか、アートとは?みたいなところまで考えがとぶ。

最後のエピローグで、監督とMichele de Lucchiがストーンサークルの前で対話をする。人はなんでつまらない、醜くしょうもない建築を建ててしまうのでしょうか?と。

これは本当にそうで、でも人はしょうもない映画も、しょうもない料理もいっぱい作るし、そういうのに嬉々として向かっていく人もいるし – でも映画は見なければよいし食べ物は食べなければよいだけ。 建築は見たくなくても目に入ってくるし、ものすごいお金と時間と人手をかけて作っていくもので、そういうのも含めて考えるとうんざりするくらい嫌になる建物ってあるよね。ロンドンにもあるけど、東京のゼネコンの建てるのとかって、なにあれ、みたいなのがあまりに多い。紙とか板とかをベースに考えているから? など。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。