2.10.2025

[film] Sergeant Rutledge (1960)

2月2日、日曜日の午後、BFI Southbankで見ました。

今月から始まった特集 – “Black Rodeo: A History of the African American Western”からの1本。BFI、今月はChantal Akerman特集だけでお腹いっぱいなのに、これに加えて、”The Films of Edward Yang: Conversations with a Friend”ていう特集もある。あれこれ忙しいってのに、いいかげんにしてほしい。 

監督は問答無用のJohn Ford、邦題は『バファロー大隊』 - 原題の「ラトレッジ軍曹」でよいのに… 黒人俳優を主役に据えた最初のハリウッド西部劇 – らしいがオープニングタイトル上は、主役扱いではなかったような。

35mmフィルムでの上映で、米国から来るはずだったフィルムが、クオリティがあまりよくなかったので、急遽スウェーデンからの手配に変わった – スウェーデン語字幕が入っているけど許してね、と冒頭に説明があった。ものすごくきれいなテクニカラーだった。どうでもよいけど、西部劇とかカンフー映画の上映素材って、適切なプリントで上映するためなら命がけ(ではないけど)でなんとか海を越えて運んできたりするよね – 米州X欧州の場合。

舞台は1881年の、西部劇というよりは法廷劇で、第9騎兵隊のBraxton Rutledge1等軍曹(Woody Strode)の軍法会議を中心に展開していって、証言に基づくフラッシュバックで法廷の場と過去の現場を行ったり来たりする。Rutledgeの弁護に立つのは同騎兵隊の将校でもある若いTom Cantrell (Jeffrey Hunter)で、野外の掘っ立て小屋のような議場は、暑くて騒がしい村人たちや着飾ってお喋りするご婦人たちで溢れていて、そのだれた雰囲気に苛立つ判事たち - 水の代わりに酒を飲んだりしてる - も含めて、きちんとした裁きが行われるとは思えないかんじ。

Rutledgeは白人の少女をレイプして殺し、更にその父親で指揮官も殺した容疑で連れてこられていて、まずはMary Beecher (Constance Towers)が証人として立って、Rutledgeに命を救ってもらった、と証言するものの、全体としては殆ど喋らず不動で弱さを見せようとしない(親しかった彼らにそんなことをするわけないではないか、と無言の)Rutledgeに疑念が向かい、この雰囲気を覆すことは難しいように思われて..

フラッシュバックで犯行時の現場の映像も出てくるものの、全体に夜の闇のなかで事件は起こるので、見ている我々にも実際にあったこと -彼がやっていない証拠 - が明確に示されるわけではなく、他方で、Rutledgeを犯人として見ている(別の可能性を頑なに考えようとしない)白人たちの、犯人は彼に決まっている、から、どうしても彼に犯人であってほしい/彼でなくてはならない、の確信を固めて深めて同意を得ようとする、その意識の流れのなかに見ている我々をも引きずりこんで、結果として人種偏見や差別のありようを、少なくともその構成要素のようなものを見せる。それは、公民権運動が盛りあがり始めた当時のアメリカに向けた(それどころかいまの我々の社会にも十分、嫌になるくらいに通じる)過去の他人事にはさせない作劇で、今回は決定的な証拠が見つかったので落着するのだが、それがなかったらどうなっていたか、も含めて考えさせて、最近のだと”Juror #2” (2024)と同じくらいの難しさと手元の緊張をもたらす。

法の裁きの必要性と正当性を示しつつも、そこまでで、裁きの場に来る前に闇で消されてしまった可能性だってあった、そんなような正しさ、正義、という点ではまだ弱いのかもしれないが、John Fordがこういうのを作って、あるべき道のようなものを示した、というのは決して小さくなかったのではないか。

そういうのとは別に、軽くもなく重くもない、立ち止まって考える隙を与えない、手に汗握るおもしろさ、というのはあって、あれはなんなのだろう、って。

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