2.03.2025

[theatre] The Little Foxes

1月29日、水曜日の晩、Young Vicで見ました。

原作 (1939)はLillian Hellman。彼女の戯曲が上演され、俳優の声と共に演じられるとどんな形になるのかを見たい - 演劇を見始めておもしろいと思うようになったのはこの辺で、原作の(今の時代における)位置づけ以上に、そこには演出家による解釈があり、過去からの上演の歴史があり、主演俳優(の選定)による重みづけがあり、時代の要請のようなものもあり、それらの交点として、今ここの舞台ってあるのか、など。演出はLyndsey Turner。

過去の舞台で主人公のReginaは、Anne Bancroft、Geraldine Page、Tallulah Bankhead、Elizabeth Taylor、Stockard Channingといった錚々たる女優たちによって演じられてきたのね。

あと、1941年にはWilliam Wylerによって映画版も制作され、Lillian Hellmanはその脚本も書いている(一部でDorothy Parkerが協力)。映画版でReginaを演じたのはBette Davis、夫のHorace 役はHerbert Marshall、撮影はGregg Toland … ものすごく見たい(1930〜40年代のWilliam Wyler監督作品はぜんぶ見たい)。IMDbにはリリース直後の『市民ケーン』が当たらなかったので、これと二本立てで再リリースされた、なんて書いてある…

舞台は横に長くのびているリビング、奥にスライドするドアがありその向こうにもう一つの部屋があって、その中で男たちがひそひそ打合せ(悪だくみ)などをしたりしている。

20世紀初めのアラバマ、南部の裕福な家庭に生まれながらも、その富や栄誉を享受しているのは Regina (Anne-Marie Duff)の兄たち - Ben (Mark Bonnar)とOscar (Steffan Rhodri)で、彼らが特に腹黒いわけではないのだが、Reginaからすれば彼女がどれだけがんばっても得られないものを、男性であるというだけで当然のものとして手にして/手にできるものと何の迷いもなく信じていて、彼女は自分の言いなりにできそうな脚が不自由で車椅子のHorace (John Light)と結婚して歯を食いしばって耐え、株の買い占め、政略結婚などによる強引な財産(だけでなく精神的なところも含め)の寡占に抵抗すべく、誰にも頼らずひとり策謀を練って実行しようとする。親族にはBenの妻であるBirdie (Anna Madeley)や自分の娘Alexandra (Eleanor Worthington-Cox)といった女性たちもいるが、もはや自分しか信用できなくなっている。

Anne-Marie Duffの演技は十分にふてぶてしく邪悪で力強いのだが、なんで彼女がそうなって、そこまで酷い仕打ち - 夫の心臓発作を放置とか - をするまでになってしまったのか、の背景 - アメリカ南部の男性中心社会の(相続なども含めた)圧倒的な理不尽・不均衡 - がきちんとかつ十分に語られないので、ただのぺったりした悪女もので終わってしまっているようなー。積もり積もった愛の不在と無意識的なところも含めた集団的な女性卑下・蔑視がずっとあったから、という女性の入り込めない土壌をはっきりと示して、その上で/それでもー というところに繋げないとReginaの悪は生きたものにならない、よね。

Lillian Hellmanの原作が戦後の復興期に出されたこと、それを善悪の境界を突き抜けた強さ・存在感をもつ女優たちが演じてきたことには意味があったし、それがいま(だけじゃなく)再演されることにもはっきりと意味はある、はずなんだけどー。というような難しさを抱えた舞台になってしまうのだなー、というのはわかったかも。


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