2.10.2025

[film] Chantal Akerman par Chantal Akerman (1997)

2月1日、土曜日の晩、BFI Southbankで見ました。

2月〜3月は、ここを中心にChantal Akermanの大規模な回顧特集 - “Chantal Akerman: Adventures in Perception”があって、その最初の上映。

BFIの大看板は本特集のChantal - 基調色はJeanne Dielmanのガウンとカーディガンと部屋の色 - になるわ、Sight and Sound誌のChantal特集号は過去のインタビューやレビュー(J. HobermanがVillage Voiceに寄稿したのとかJonathan Rosenbaumの過去の論考とか)を網羅して大充実だわ、Soho のマガジンスタンドのウィンドウが一面これの表紙で埋まっているわ、”Jeanne Dielman, 23, quai du Commerce, 1080 Bruxelles” (1975)は公開50周年記念で全英でリバイバルされるは、このBFIの特集もフルではないが英国をツアーするそう。 この裏で何が進行しているのか(しねーよ)知らんが、ありがたく見ていきたい。

でもこの初回の上映も含めてあまり盛況とはいえない - Sold-outしたのはないかも - という客の入りで、それはそれで納得かも(満員だったらちょっと変)。

コロナでロックダウンしていた頃、Chantal(とAgnesの)は配信で結構見たので今回はそんなに行かなくてもよいか、と思っていたのだが、中編〜2時間いかない作品の上映にはおまけのようにTV放映されただけの短編作品などの併映がついていて、これらって見ていたかしら? というのも多くて、結局見てしまうことになるのだった。 以下、上映された順番で。


Akerman – Examen d’entrée INSAS – Knokke 1967 (Films 1-2)
Akerman – Examen d’entrée INSAS – Bruxelles 1967 (Films 1-2)

Chantal Akermanが国立の映画学校(INSAS)の入学用にモノクロの8mmフィルムで撮って提出してAcceptされた作品、というか全部で4つ、ぜんぶ足しても14分程の断片。Chantalの友人の女性が夏の町を歩いたり靴屋に入ったり花火を眺めたり、の昔のアルバム。一瞬だけ写っているのはChantalのお母さんなの?


Saute ma ville (1968)

↑で入学した学校をさっさと中退して、18歳のとき、いきなり撮りたいんだ!と思いたち35mmで一気に撮ってしまった彼女のデビュー作 - 13分。 英語題は”Blow Up my Town”。

しゃかしゃかしゃかどっどっどぅーとか口の中でせわしなく音をたてたり呟いたりしながらChantalがアパートらしき建物に駆けこんで、そのままリフトで上にあがって(おそらく)自分の部屋に入って入り口をテープでとめて、花を飾ってスパゲッティを食べて靴を磨いて掃除をして、ガス栓を開いてどっかーん。

世界で最初かつもっともパンクな〜 パンクなんてなかった頃だけど、こういうもん、ということを示した映画だと思う。ゴダールみたいに臭くないし。 最初にこうして自分を粉みじんに吹っ飛ばしてしまったので、この後の彼女(たち)はどこにだって行ける、現れるようになった。


Chantal Akerman par Chantal Akerman (1997)

↑から更に30年が過ぎて、Janine BazinとAndré S. Labartheによる”Cinema of Our Times”というTVシリーズ?の要請を受けて彼女が自分で自分を紹介していく。(このシリーズ、すごい面々が出てくるのね)。

最初にカメラに向きあったChantalが自己紹介をして、そこから自身で編集したと思われる自作品を繋いでいく。

改めて彼女の作品の主人公たちのカメラとの距離について - カメラはあくまでChantalの目とボディとなって、その距離を保ちつつ被写体に接していく。その距離のルール、法則のようなものはずっと維持されているような。あとは光に対する/向かう態度 ~ いろんなスイッチのオンオフとか、窓を開ける動作とか。

抜粋映像集でおもしろかったのは、”Les Années 80”(1983)でブースで歌うAurore Clémentの前で腕をぶんぶん振りまわしながら指揮(?)をしている姿と、”Jeanne Dielman”の靴磨きのシーンと”Saute ma ville”のそれを繋いでみせたところ、とか。 なんでそれが - それをどうしておもしろいとおもってしまうのか、を考えさせてくれる、自分はそういう映画を好きなのだな、と改めて思った。 のと、それと関係しているのかもしれないが、何度でも見たくなる。それは記憶の答え合わせをする、というよりも、別の新たな出会いがあることを期待しているかのような。そしてそれは間違いなくやってくるの。

あと、彼女のどの映画にも共通したやかましさ - 絶えず落ち着かずにがちゃがちゃなんか鳴っていたり騒がしかったり、それは彼女自身がそういう人だったから - という辺りはじっくりと見ていきたい - もう見てる。

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