2月15日、土曜日の晩、Shakespeare’s GlobeのSam Wanamaker Playhouseで見ました。ひどい雨の日だった。
原作はシェイクスピアの戯曲(1609-1610頃)、最初のうちは「悲劇」に分類されていたようだが、どう見てもそうには見えなかったかも。演出はJennifer Tang。
舞台はローマ帝国時代の古いブリテン王国の頃の話で、国王Cymbelineは女王(Martina Laird)で、原作とは異なる女王を中心とした女系社会、という設定で、中心のカップル - 女王の娘のInnogen (Gabrielle Brooks)と幼馴染で恋仲のPosthumus (Nadi Kemp-Sayfi)も、どちらも女性、となっている。更に - 見た目だけではあるが - 人種構成も多様でマルチカルチュラルな世界っぽく、敵味方などの識別はほぼ着ている衣装で見るしかない。大昔の話だからか、舞台には骨らしきものが飾ってあったり、音楽もガラスや打楽器の響きと生声、ハミングを中心としたシンプルかつプリミティブなもので、昇ったり降りたりが頻繁な火のついた生の蝋燭(ここのいつもの)もよいかんじ。
そろそろ結婚しようか、になっていたInnogenとPosthumusだったのに、頑固でいじわるな女王は夫Duke (Silas Carson)の連れ子でボンクラなCloten (Jordan Mifsúd)とInnogenを結婚させようとPosthumusを追放し、更にふたりを永遠に引き離そうとそれぞれに嘘を吹きこんだり、策謀とか悪党のIachimo (Perro Niel-Mee)とか、危ない影が寄っていってどうなるー? なのだが、互いの愛を信じるふたりはどうにか(というか襲う側が結構間抜けだったりして)切り抜けて、でも離れ離れにはなって、という顛末が描かれる一幕目は、薄暗いなか、目まぐるしく場面も人物も替わってごちゃごちゃ落ち着かなくていろいろ大変だなあ、というかんじ。この役は女性が演じているけど配役上は男性のはずだから… などと考える暇もないくらいばたばたする。
後半の二幕目は、男装して旅に出たInnogenが、Belaria(Madeleine Appiah)、Guiderius (Aaron Anthony) 、Arviraga (Saroja-Lily Ratnavel) の頼もしそうな3人の母子(に見えるけどそうではない)と出会って、Innogenを殺しにやってきたClotenがGuideriusと決闘して首を落とされて、眠りから目覚めたInnogenが傍に落ちている布に包まれた首をPosthumusのだと思ってパニックになって… など、すったもんだしながら新たな出会いが新たな希望を呼んでくる.. かと思ったら、今度はローマ帝国との戦争が始まり、その混沌とどさくさのなか、InnogenとPosthumusは再会して、GuideriusとArviragaは王の血を継ぐものであったことが明らかになって、新たな絆とファミリーが改めて確認されてめでたしめでたしになるの。
二幕目はつんのめるように威勢がよく、その勢いと共にどうなるのかも見えてくるし、ラストの戦がそれに火を点けてくれるかんじでなかなか盛りあがって楽しいのだが、女系を軸にファミリーを再構成した意味のようなところがやや弱かったかも。あるとしたら出てくる男たちがどいつもこいつも頭も性根も悪いのばっかしで、その辺 – だから王様になれないんだよ、の辺りだと思うが、そんなのとうにわかりきったことだしな.. になるし。突っ込みどころはたっぷりあるものの、高低差のある客席をうまく使って兵士たちが出入りしたり、どたばた楽しかったかも。
『シンベリン』のちくま文庫版の解説にあったように、これが「喜」と「悲」や「男」「女」を含む際どく危うい二項対立を軸に幾重にも組み上げられたお話しだとすると、こんなふうにごちゃごちゃ散漫なものになってしまうのはしょうがないのか、と思いつつ、でもこういうのは割と好きかもー、って。
2.26.2025
[theatre] Cymbeline
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