2月12日、水曜日の晩、Picturehouse Centralで見ました。
まだ正式公開前のPreviewで、上映後に主演のPamela Andersonのトークがあった。ここの一番大きいシアターが満員になって、ロンドンの他の映画館でも別の日にトークがあって、週末のBAFTA授賞式ではプレゼンターとして登場した。そこにいるだけで場が明るく、暖かくなるかんじの人だった。
監督はGia Coppola、脚本はKate Gersten、たった$2millionの予算で、18日間で撮られた、と。
Shelly Gardner (Pamela Anderson)はラスベガスの場末のダンス小屋Le Razzle Dazzleで30年間ショーガールを務めてきて、でも突然プロデューサーのEddie (Dave Bautista)が、ショーはあと2週間で閉じる、次はない、と告げてきて、若い子たちは別のとこを探さなきゃ、ってざわざわ始めるのだが、30年間ここで踊ってきたShellyはどうしよう… ってこれまでのことも含めて考え始めてしまう。
こうしてかつての同僚で親友で、今はカジノのバーでウェイトレスをしているAnnette (Jamie Lee Curtis) - 恐るべしJamie Lee Curtis - と会ってつるんで話したり、若い踊り子たちと話したり(でもまったくついていけず)、突然現れた疎遠だった娘のHannah (Billie Lourd)とも話したり、そして過去に当然いろいろあったであろうEddieとのディナーがあり。でもいくら相談しても話してもなにひとつ解決することはない。この仕事が好きで、ずっとこれだけをやってきて、ここでの自分は誰よりもうまく踊れる自信がある、その場所、機会を奪われるというのは自分にとって何を意味するのか。
なので新しいところにオーディションに行ってみたりもするのだが、そこの監督(Jason Schwartzman)はどこまでも(彼女からすれば)意地悪すぎて彼女を見てくれなくて、やってられない。
好きな仕事を失う - 奪われる、というバックステージものによくある残酷な運命を描きつつ、ぎりぎりでそちらの波にはのまれない。こないだの”The Substance” (2024)のように若い娘に取って替わられる悔しさと妬みと執着を前に出すのでもなく、これしか残っていない自分を最後の最後に肯定して抱きしめようとする。もちろん、それにしたって先はないのかも、だけど。
これはもうPamela AndersonにしかできないShowで芝居で、そんな一世一代の、最後の見得というのがどういうものか、それを見とどけるだけの映画、でよいの。Pat Benatarの”Shadows Of The Night”があんなにかっこよく鳴る瞬間、つい拳を握ってしまう日がくるなんて誰が想像しただろう?
“Everything Everywhere All at Once” (2022)があったので何も驚く必要はないかも - のJamie Lee Curtisもすげえなー、なのだが、それよりDave Bautistaって、あんな演技ができるのか、と。
ヴェガスのくすんだ空気、靄のかかったような、Deborah Turbevilleの写真の世界が少しあるものの、カメラの動きがあんまりよくないのが少し難で、あと少しでRobert Altmanがやったような西海岸のドラマになれたかも、なのに。
エンドロールのSpecial ThanksにはCoppolaファミリーはもちろん、Dita Von TeeseやSam Bakerの名前が流れていった。
上映後のトークで印象に残ったのは、もう残っていないヴェガスのショーガールの世界は、していいことしてはいけないことが厳格に定められた規律の厳しい世界だった、というところ。誇りをもてる仕事ってよいなー、って羨ましくなった時にはもう遅すぎ…
2.19.2025
[film] The Last Showgirl (2024)
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