6.18.2026

[film] Primavera (2025)

6月14日、日曜日の午前、ユーロスペースで見ました。
邦題は『ヴィヴァルディと私』。ヴェネツィアもヴィヴァルディも好きだし、日曜の朝っぽいし、昨年は盛りあがらなかったけど『四季』の300周年だったし。

原作はTiziano Scarpaによる”Stabat Mater” (2008)、監督はオペラ演出家Damiano Michielettoの、これが監督デビュー作。暗がりの蝋燭が絵画みたいでちょっと素敵だった撮影はPaolo Sorrentino作品を撮ってきたDaria D'Antonio。

18世紀初、ヴェネツィアのピエタ孤児院 - 冒頭、院長?の女性が子猫にひどいことをするので、そういう施設だとわかる - には若い未婚の女性ばかりが収容されていて、日々音楽の訓練を受けている彼女たちは後援者たちの前で定期的にアンサンブルを披露したり、後援する金持ちの家に貰われていったり、音楽/家事か玉の輿か、くらいしか将来の選択肢はなくて、ある日後援者がここへの支援をやめて他の方に貢ぐことを聞いた館長はそいつはやばい、ってVivaldi (Michele Riondino)を教師・指揮者・作曲家として招く。

現れたVivaldiはごほごほ咳ばかりしていて具合も機嫌も悪そうで、とても仕事ができる人には見えないのだが、”La Follia variations”を演奏しているとき、Cecilia (Tecla Insolia)の弾くヴァイオリンにぴくってなって、彼女を第一ヴァイオリンに据えて、デンマーク王を迎えた式典で彼の作曲したソナタを披露演奏したらとても感動してくれて、VivaldiとCeciliaは音楽で結ばれた師と弟子としてよいかんじになる。

のだが、オスマン帝国とのコルフ島での長い戦いから戻った英雄Sanfermo総督はCeciliaとの結婚を一方的に決めてきて、それは孤児院への多額の寄付を伴うのでCeciliaにもVivaldiにもどうすることもできない。のだが、最後の手段としてCeciliaは館に出入りする八百屋の青年と強引に関係をもって婚姻資格(結婚式前に新婦が処女であることを医者がチェックしにくる)から外れようとして、それはどうにかうまくいって関係者一同は絶叫錯乱、独房に入れられてしまうものの、これで婚姻縛りから逃れることはできそう – だったのだが…

どちらかというと(いやどう考えても)Vivaldiが『四季』を作曲して磨きあげて弟子と一緒に披露するまで、のいろいろあったストーリーを描くと思っていたのだが、リハーサルで「春」の断片がちゅるりろ♪って聞こえてくるくらいで、Primaveraな完成形は結局示されないので、えー、だった。遺されたVivaldiの制作ノートの余白などからこんなことをイメージしてみました、というストーリーらしく、そこまで創作するなら、①病に倒れて瀕死になるVivaldi、懸命についていく弟子、②『四季』を完成披露して幸せに死んじゃうVivaldi、③そんな彼を看取りつつ超絶に弾きまくるCecilia、の方にいくか、ヴァイオリンの弦と弓で総督と館長を縛りあげてぐさぐさ血祭り、のサスペリア方面では、とふつうなら思うよね、なのだが、実際には『侍女の物語』(衣装) で、とってもかわいそうで出口なしで暗くて悲惨で、なのに最後、Ceciliaは不敵に微笑んだりしていて、なんで? 音楽はなくなったけど自由を手に入れたから? そんなんでいいの? になった。

テーマ的には女性映画だと思うのだが、Vivaldiが妙な位置で挟まってしまい、全体として座りのよくない、変な映画になっちゃっているかも。

あと、薄暗くて怖めの室内の描写はよいのにヴェネツィアの街は運河程度のぺたんこで、もうちょっとがんばれば、だった。

というわけで、ヴィヴァルディはこの週末のRosasで改めて。

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