6.19.2026

[film] L'engloutie (2025)

6月14日、日曜日の午後、日仏学院の『第7回映画批評月間 フランス映画の現在』のなかのサブ企画『批評家たちが選ぶ2024-2025ベスト』で見ました。ぜんぶ見たいけどぜんぜんまったく無理。

監督は、これまでドキュメンタリーを中心に撮ってきて、これが長編デビューとなるLouise Hémon。カンヌの監督週間に出品されて、2025年のJean-Vigo賞、André-Bazin賞を受賞している。
撮影は監督デビュー作”La Gradiva” (2026)がこないだのカンヌの批評家週間でグランプリを受賞したMarine Atlan。本作ではセザール賞にノミネートされている。

原題をそのまま訳すと「沈められたもの」?、英語題は“The Girl in the Snow”。

雪深いアルプスの山奥の村にAimée (Galatéa Bellugi)が教師として赴任してきて、雪に閉ざされて外界との交流とかなさそうな土地で、子供たちを教え、そこに住む村人と一緒に暮らしていく。彼女のほっぺたはほんのり赤く健康そうで着ているものもかわいくて、村人もそんな変な、異端な民のかんじはしない。

最初、現代の物語だと思っていたのだが、途中でもうじき年が明けると20世紀になります、というので今から100年以上前の話なのだ、ってはっとする。雪に覆われていて、彼女が暮らす校舎とか納屋も木造で、蝋燭の灯りだけだと気づかないのかも、と思いつつ、ずっと覆われたり籠ったり、の内と外の感覚の端で、さりげない村人たちの態度や挙動がなんとなく気になり始める。そんなふうに気に障る感覚が雪に覆われた屋外やそこでの(追いようがない、止まない)物音に起因しているのか、屋内の村人や子供たちとの、汎社会 - 共同体的なやりとりのなかで湧いてくるものなのか、自然光のみと思われる撮影の光の捕らえかた、なのかもしれないが、気付いたら積もっていて身動きとれなくなる雪のように絶妙、ホラーのようにのしかかってくる。

村の男たちのなかにはAiméeに近づいていく者もいて、柔らかい光のなかでふたりで親密な夜と過ごした後、次の朝には村の衆が男の名を呼びながら雪のなかを棒で突っついて探しまわる、という場面があって、それが繰り返されたりしたら、これは雪女モノ…?とか思ったりもするのだが、行方不明なんてふつうにありそうだし、って。でもそれがもう一回起こると…

雪山の奥、ずっと閉ざされた家屋の隅とか雪の塊りのなかで何が育ったり蠢いたり埋められて息の根を止められたりしているのか - タイトルの「沈められたひと」 - それらを明るみに出すことすらできないような暗く曇った世界がある – というのは我々の内側の認知なのか外側の網膜の話なのか、ということをヴィジュアルで淡々と、ひとつの閉じた世界として示しつつ、ありがちなフォーク・ホラーがぶつぶつ沸きたってくる手前のところでうまく止めているような。

でも、チャントを重ねて渦を巻いて響かせるEmile Sorninの音楽はちょっとありきたりでつまんなかったかも。 裂け目をつくって底知れない何かを暴きだすことだってできたのではないか、とか。

暗がりの隅の蝋燭とレンズ、とか撮影はさすがだと思ったが、これの前日に見た『早池峰の賦』 (1982)の舞台となった土地の情景を思い出して、ここで16mmで映しだされた40年以上前の、あの景色が強く迫ってくるものはなんだったのだろう.. って改めて思ったりした。

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