6月21日、日曜日の午後、日仏でデュラスのプログラムをひとつ見た後、彩の国さいたま芸術劇場で見ました。
ローザス、アトラファイブ - 『和声と創意の試み』。タイトルはヴィヴァルディが1725年までに発表したヴァイオリン協奏曲(作品8)で最初の4つが『四季』として有名なやつ。 ”Il Cimento”には、試練、苦難、危険、リスク、危機といった意味もあり、このダンス作品のそれとするなら「試み」よりもうちょっと強くてもよさそうな。
ロンドンのSadlers Wellsでも5月に2日間上演されている。休憩なしの90分。
Anne Teresa De Keersmaekerのダンスは2024年11月に”EXIT ABOVE after the tempest”をSaddlers Wellsで見て以来。
Anne Teresa De KeersmaekerとRadouan Mrizigaの共同振付で、A7LA5(アトラファイブ)の 4人のダンサーたち - Boštjan Antončič, Nassim Baddag, Lav Crnčević, José Paulo dos Santosも共同創作、という位置づけ。
冒頭、真っ暗で殺風景な舞台の奥で蛍光灯のようなライティングがモールス信号のように瞬き、それが1本から2本、3本と増えて、両サイドの蛍光灯にまで広がってステージ全体が眩くなったところで暗転して、Autunno - 秋 - が鳴りだし、ダンサー1名が舞台に現れゆっくりとストレッチするような動きをしながらステップを踏んで、その数が4名迄増えて、あとは進行に合わせて増えたり減ったり、ソロとアンサンブルが交錯していく。
ダンサーたちはメッシュのベストやバスケットボールのショーツを身に着けて長いひらひらを纏ったり、おっさん風のひともいる外見はほぼストリートダンサーの太さと重心 - ブリューゲルの描いたフランドルの農夫のそれ - をもち、出番がないときは両サイドの椅子があるエリアで水分を補給したりぶらぶらしたり、モダンに近いひと、ブレイクダンスもやるひと、等ばらけていて、これまで自分が見てきたRosasのアンサンブルとソロが細やかにぶつかったりすれ違ったりの集合離散を繰り返しながら全体の流れを作っていく、そのプロセスを見せるのとは、ちょっと違うやつだったかも。 ごつごつとしたいろんな段差を見いだしつつ顕在化させていくような。
Autunnoから冬 - Invernoに行くときはタイトルの表示はなく、季節の変転はライティングの強さと色彩(黄色があつい?)、そしてダンサーの動きの組合せで表されていて、誰もが盛りあがることを期待するであろうPrimavera - 春は、音楽が始まる前にひとりのダンサーがステップ/タップであのヴァイオリンの刻みを見事に再現した(ここだけ拍手がおこった)ものの、実際の音楽が始まると、片手をあげた4人が揃って8の字を描いて蜂のようにぐるぐる回っていくだけで、え? それなの? ここってダンス観点では一番の見せ場じゃないの? だった。 無音での振り(結構多め)から音楽を付けてのアンサンブルへの移行/組合せがそれなりの効果を生むことはわかるが、この場合はちょっと微妙だったかも。みんなはヴィヴァルディが追いかけて鳴ることを知っている – 既に脳内で鳴らしているから。
この後にいかにも、で躍動する夏から再びAutunno、そして終わりの冬になると、蛍光灯が白い布で覆われていってその曇った覆いのなかで光がうっすらと消えていく。希望の春ではなく、2度目が反復される秋冬で終わる。
300年前に作られた自然を讃える音楽と、野山の自然から遥か彼方に離れてしまった都会のストリートでのリアル、その間にある様々なギャップを対照させて、歓びというより摩擦と試練、疲弊を、そしてそれでも容赦なく流れていく季節を示して容赦しない。 それを受けとめて対抗したり這いつくばってがんばる男性たち、という絵柄。
そして最後に朗読が流れる在ブリストルのAsmaa Jamaの詩- “We, the salvage” – われわれはわれわれが待ち望んでいた救い出されし者である、春を待ち望む.. 云々 と結ばれる。この”We”とは、春、とは。
一度に台風がふたつ、地震がふたつ来て、これは間違いなく国立映画アーカイブにあんなことをした天罰に違いないと思うのだが、それ以上に恐れるべきは、あの(悪い意味で)頭のおかしい連中に災害対応なんかをやられることである。ああ神さま、しかない。
6.26.2026
[dance] Il Cimento dell’Armonia e dell’Inventione (2024)
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