6.29.2026

[film] 嗚呼 満蒙開拓団 (2008)

6月22日、月曜日の晩、シネマヴェーラの羽田澄子特集で見ました。

この特集は先週で終わってしまったが、デュラスの特集などと被っていなければもっと見たかった。し、サブタイトルにあったように 『福祉、芸術、ジェンダーを通して日本を描く』 ことが今ほど求められている時はない、と思うの。ぜんぶ(体制からすれば)だめだめ系ので、誰もお金だそうとしないだろうが。

冒頭、80年代から始まった中国残留日本人孤児の国家賠償請求訴訟が棄却されて、残留孤児たち関係者が涙するなか、そもそもどうしてこんなことに、ということで、中国東北部にある「方正(ほうまさ)地区日本人公墓」にお参りをする日本人向けツアーに同行しながら、1932年の満洲国建国時から現地で、ここにやってきた日本人移民たちに何が起こっていったのか、を追っていく。

あんな場所に国を作って、作っちゃった以上は強くしないと周辺からやられてしまうので、本国からの移民の数を増やしたかった、他方で日本の農村部は昭和恐慌のあおりで食糧不足が危惧されていて、そんな両方のニーズも合致していた(最近の自衛隊の構図と変わらない)ので100万人規模の移住計画が立てられ、各都道府県には人数のノルマまで課されて、長野県などから多くの移民がハルビンに渡った。

でも映画での証言によると、旗を振られて移住したのは終戦間際の1945年の6月頃(えー)、8月になってソ連軍が満洲に侵攻してくると現地の関東軍はあっさり農民たちを棄てて退却をはじめて、残された民は飢えと寒さと襲撃とチフス、などでどんどん亡くなるか、現地の中国人に貰われるくらいしか道はなくて、そうやって20数万人が亡くなり、後になってゴミ捨て場のように放置され積み重ねられた骨々を見て憐れに思った現地の中国人が方正に共同墓地を作った、と。

まだ生き残っていた当時の人々の証言も含めて、120分ではぜんぜん足らない内容なのだが、一貫して描かれて、日中双方からの証言でそうとしか言いようがないのは誰ひとり、何ひとつ責任をとらない政府(&軍)による「棄民」政策とその全容で、水俣病でも薬害訴訟でも沖縄でも、ぜーんぶそう、いま偉そうに(恥をしれ)嬉々として戦前の施策をなぞろうとしているのはそういうことをした連中の末裔だからね。ほんとに何も振り返らないし反省しようとしないし理解する脳みそもないし罰せられることもないまま、利権と世襲でありがたや、って政権を支持して崇めて下にはふんぞり返ってきた上層の連中も含めて、どうしたらいいんだろうねこれ、って暗澹としてしまうのだった。 まったく終わっていない今の話として、ね。


女たちの証言 - 労働運動のなかの先駆的な女性たち - (1996)

6月22日の晩、上のに続けて見ました。

羽田さんのオフィスの片隅に、82年に撮られたまま10年以上、宿題のように放置されていたフィルムがあると。それは大正から昭和初期に社会主義的労働運動に参与した活動家の女性たちが一堂に会した座談会の時の記録で、そこで撮られた内容を紹介しつつ、後から改めてインタビューした内容も加えて、日本における女性解放運動とは具体的にどういうものだったのかを活動した女性ひとりひとりの歴史のなかに見る。

女性の「社会参加」すら危うくあれこれ言われ、ましてや政治参加とか労働運動なんてもってのほか - 逮捕されて当たり前だったあの時代、どれだけの迫害や虐待や村八分に見舞われようとも、パートナーの死や自身の投獄や弾圧にも負けずに信念も曲げずに淡々と自身を貫いた女性たちの像と言葉。外見こそあたりまえに老いているようだが、言葉も表情もすっきり澄み渡って、あんな老人になれたらいいな、しかなくて、しかし、他方で社会の方はいつまでたってもぜんぜん変わることができない、変わらないまま女性蔑視、労働運動や組合活動への忌避がなんとなく、でもしっかりと根づいて蔓延したままで、この辺(のもうやだ)が撮った映像をそのままに置いてしまった原因だったのではないかしら、って。


山中常盤 牛若丸と常盤御前 母と子の物語 (2004)

6月19日、金曜日の晩、日仏で”La Musica” (1966)を見てから、シネマヴェーラに移動して見ました。TGIF.

『山中常盤物語』は、義経説話に基づくお話 – 頼朝に追われて奥州へ下った牛若を訪ねて旅にでた母の常盤御前が、山中の宿で盗賊に殺され、復讐に燃える牛若が盗賊をばらばらざくざくに切り刻んでその仇を討つというお話で、浄瑠璃の演目として盛んに上演された。 『山中常盤物語絵巻』は17世紀の江戸時代の画家 - 奇想系のあれで注目された - 岩佐又兵衛(1578-1650)が『山中常盤物語』と浄瑠璃をもとに描いた全12巻、150mからなる絵巻作品(MOA美術館のコレクション)。

映画は、その浄瑠璃がべんべん唸りをあげるバックトラックとなって、カメラを右から左にスクロールさせつつ絵巻に描かれたストーリーをその場面の歌と一緒に聞いて追っていく、これを12巻ぶん。シンプルな構成ながら、絵巻と浄瑠璃の世界、それらが描こうとした牛若の怒りと悲劇が300年の時を経てダイナミックに伝わってくるものだった。

絵巻に巻かれている絵は殺しの凄惨な描写も含めて鮮やかな劇画調で、よくもここまで描いたなー、くらいに肉片血みどろ、でも人の顔はわかりやすい線と色のとぼけた漫画で、こういうのが受けたんだろうなー、って。

ただ、浄瑠璃がどんなことを歌っているのか、要約でもよいから字幕で投影してくれたらより理解が進んだのになー。外国のひとにも伝わると思うし、文化事業ってこういうのに(以下略)。

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