6月6日、土曜日の昼、渋谷のホワイトクイントで見ました。
ぜんぜん知らないアメリカ産のアニメーションだったが短くて軽そうだったし、どんなものかしら? くらいで。
原作、製作、監督、音楽はJulian Glander、この若者がひとり、当然低予算で作ったらしい。孤独に孤独であることの諸相、などをテーマにすっとぼけたアニメーションを描く、つくる、という点ではDon Hertzfeldtを思わせたし、声優陣には”Eighth Grade” (2018)のElsie Fisherとか、Janeane Garofaloとか、Tavi Gevinsonとか、”Sorry, Baby” (2025)のEva Victorとか、世界の片隅へなちょこ系オールスターズだし、Special ThanksにはMiranda Julyの名前があったし、これらを豪華、と言ってよいのかどうか、だろうが自分にとっては超豪華としか言いようがない。
UKでは、2025年のGlasgow Film Festival で上映されただけ – たぶん英国人にはわかんないのだろうなー のかんじ。
安っぽい、ポップと毒毒の中間地帯を無邪気に、なんも考えていないふうに埋めつくすアメリカの駄菓子の輪郭と色合いのなかに海も家も砂浜も無神経にぶよぶよと建っていて、そこにやはりすべてにおいて無頓着で頭にも身にも虫が湧いているとしか思えないふやけた若者たちが浮かぶように佇んでいて、ものすごくてきとーにラップをして遊んだりしていて、その近くには肥大した芋虫みたいなエイリアンみたいな奴らが変な音を出しながら伸びたり縮んだりしている。 この絵だけで映画館を出たくなる人がいても責めはしない。
そんなてきとーにふやけた若者たちの間にBilly 5000 (Jack Corbett)はいて、他の仲間にはFreckles (Grace Kuhlenschmidt)とか Beatbox (Elsie Fisher)とかPeanut (J.R. Phillips)がいて、Billy 5000はUber EatsライクなGrubsterっていう宅配ピザ(だけじゃない)配達サービスのバイトをしながら誰にも搾取されることなくそのアプリのバグを使って一人暮らしするための$5000を貯めようとしていて、たいへんだけどがんばる、っていいながらどこかの底辺を彷徨っているようで、でも彼の暮らす世界には底辺も頂点も存在していないかのよう。
ある日宅配に行った工場で、かつての同級生Rosario "Rozebud" Dolphin (Miya Folick)と会って、そこの工場長の娘である彼女が持っていた標本とかを持ち帰ったら、それが単なるエイリアンではないとんでもないやつで…
お金を稼ぐこと、家族である(になる)こと、旅をすること食べること泊まること、これら生活の根幹がそこらでごろごろしているエイリアンたちとの間でお茶の間的なスケールのコミュニティで進行して転がって、決して「アドベンチャー」にも「ジャーニー」にもなっていかないし、そうなることにも興味ないし、というすっからかんの実存のありよう。でもここからJupiterに飛んでいったとしてもなんの不思議もないし、たぶんいけるし。
軽めのドラッグをやってトリップしている若者たちの戯言、メッセージもくそもない、と片付けることは簡単かもしれないが、そうも言い切れないような腰の据わったLo-fiの居直り感と虚脱感がなんだか痛快で心地よい。ただぶっきらぼうに、でもそこにいるの。 なんとなく漂う宮沢賢治のかんじ、など。
シアターで貰ったBoidのペーパーで樋口さんはDinosaur Jr. ぽい、と言っていたが、あんなに洗練されてもいなくて、Sebadohあたりではないか。
6.11.2026
[film] Boys Go to Jupiter (2024)
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