6月21日、日曜日の昼、日仏のデュラス特集で見ました。18分の短編(監督作)と彼女についてのドキュメンタリーを組合せたプログラム。
“Les mains négatives” - 邦題は『陰画の手』。 英語題は”The Negative Hands”。
まだ薄暗い夜明けのパリの街に向かって、前方を向いたカメラ - 撮影はPierre Lhomme +2名 - がそれを搭載した車と共に走り出して、そこにAmi Flammer - Agnès Vardaの”Quelques veuves de Noirmoutier” (2006) 等 - の多くを語らず何かを切り裂いていくようなヴァイオリンとデュラス自身によるモノローグが被さっていく。
ゆっくりと動きだすフロントの窓がそのままスクリーンとなり、Pierre Lhomme独特の薄暗青いイメージにヴァイオリンが絡んでくるだけでたまらなくなり、このまま1時間やってくれないだろうか、とか思う。
解説によると、ルートは”From Bastille to the Champs-Elysees, by way of the Boulevard des Italiens, Avenue de l'Opera, and Rue de Rivoli”だそうで、建物に掛かっている映画の大看板を見ると”Capricorn One” (1978)とか”Convoy” (1978) の時代 - これはなんかわかる。大きな三越のパリ支店、OSAKAという日本料理店なども見える。
まだ眠っている、眠りから覚めようとしている街を浮かびあがらせつつ、デュラスが語る内容は昔彼女が見たというスペインのアルタミラ洞窟に残された3万年前の手の跡 - アルゼンチンのピントゥーラス渓谷にある「手の洞窟」のあれ、じゃないんだ? - 洞窟の暗がりにポジとネガで跡のついた/跡を遺したひとりの人物の像に向かい、「わたしはあなたより遠くのあなたを愛している」と言うの。いつもあとに遺るのは3万年の昔からのそんなふうな痕跡ばっかりで、愛はそこにしかない、そういうものなのだ、って目醒めようとしている街に向かって語る。
彼女が映画によって遺そうとしているイメージも、そのような「陰画」としてあるのだろうな、って。
Marguerite, telle qu'en elle-même (2002)
↑のに続けて見ました。邦題は『マルグリット・デュラス、あるがままの彼女』。 英語題だと”Marguerite as She Was”。
約60分のTV用に作成されたドキュメンタリー?で、作・監督は”Le camion” (1977)等で編集を手掛けたDominique Auvray。”L'Amant de la Chine du Nord” (1991) - 『北の愛人』出版の際にデュラスが彼女に献本したあたりから始まったらしい。
ピアノにのったJeanne Balibarのすばらしい歌声を背景に、デュラスの過去の写真、過去のインタビュー映像にある語り、Edgar Morin(おおー)やJean-Luc Godardのコメント、などが流れていく。メガネをしていない彼女の顔が新鮮で素敵でじっと見てしまう。
語られていくのはアジアで過ごした幼少期のこと、母や兄たちのこと、パリに出てきてからのこと、共産主義者としてあること、男と女のちがい、料理や油のこと(油は必要)など、ところどころに映りこむ黒猫、三毛猫 – やっぱり猫のひとなの? - 淡いカラーで撮られている”Nathalie Granger” (1972)の撮影時の、あの家の光景なども。 ネガティブな、ひっくり返す/返るような打ち明けや暴露話などはない。
ナレーションなどなくでも、すべての映像も声も(Jeanne Balibarの歌声さえも)、デュラスに対して抱いていたこちらのイメージやこれまで見た彼女の映画の情景、声、語りというスタイル、などなどにすんなりそのまま寄り添い、はまっていて裏切ることはない。Dominique Auvrayが愛と敬意をこめて彼女の声と映像を織りこんでいったのだろうな、というのがよくわかる、デュラスをこれから見る人にとっても最適の入門編になっているのではないかしら。
6.29.2026
[film] Les mains négatives (1976)
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