1.24.2025

[film] Se7en (1995)

1月11日、土曜日の晩、BFI IMAXで見ました。"Seven"

公開30周年を記念しての1回きりの上映で、売り切れてはいなかったが席は前から2列目で、見あげるかたちになってしまったが思っていたほど悪くなかったかも。

監督はDavid Fincher、少し後の“Fight Club” (1999)と並んで、90年代の暗く荒んだ、擦り切れた空気感を代表する「名画」「古典」、のように紹介されることも、現在活躍するいろんな「クリエイター」が影響を受けた映画としてあげることも多いみたいだが、自分はなんとこれまで見たことがなかった。

だって、95年頃なんて、音楽のが断然ものすごくおもしろかったので、映画行くならライブ行くわ、だったから。
上映前、客席に向かってこれまで見たことない人~?って手をあげさせたら半分くらいから手があがったので、見てない若い子も増えているんだろうな、って。

オープニングのタイトルバックが、90年代の雑誌 – Ray Gunとか - のエディトリアルのルックス(というか、こっちが影響与えたほう?)でなんだかとっても懐かしいったら。

ストーリーはいいよね。ずっと雨が降っててくすんでて滅入るNY - のように見えるが明示はされないどこかの都市 - で、Seven Deadly Sin - 七つの大罪をテーマにしていると思われる死体ぐさぐさ、肉塊陳列系の惨殺事件が月曜日から順番に起こっていく。担当するのはもう定年を前にしたSomerset (Morgan Freeman)と若くて漲っているMills (Brad Pitt)のお互い気にくわないし合わないし合わせようとしないふたりで、これは七つの大罪起因だ、って推理して絞り込んでいくのは読書家っぽいSomersetで、その反対側で当然姿を見せようとしない犯人John Doeも相当に暗くて闇が深そうだねえ、って。

ただの犯罪推理サスペンスで終わるのではなく、どちらかというとどれだけ日を重ねても働いても働いても先が見えない雨ばっかりに降られる刑事たちのどんよりと重い日々、殺されていく人々の死体になる前からそうと推測されるなんとも.. としか言いようのない様相と、そんな中でのああいう殺人(のやり口)を晒して狙って挑戦・挑発してくる犯人と、部屋にも扉にも、すべてに横たわってこびりついて離れない閉塞感、疲弊感、怨念のようなの、ってなんなのだろう?から、なんかどうもそういうもんかも… に変わっていって、その状態であの結末がくる。最後まで終着点としての罪がべったりと横たわって床にこびりついて、ヒトの善なんてありえない、勝てる余地のない世界が大きく広がって、最後にヘミングウェイの引用があったりするけど、それにしても..

そしてこれははっきりと当時の時代の空気のようなものとして、あった気がして、それを現場の塵やノイズ込みで映像に落とした。地獄はすぐそこ、ではなく、いまの、ここの、これが、あなたが、地獄なのだという目覚めとかお手あげとか。

Trent Reznor絡みで引き合いにだすわけではないが、David Lynch (RIP) のほうが、悲惨を彼岸のほうにあえて置いてみようとするかんじがあった。というか彼岸には狂って箍の外れたすべてを用意できるので地獄だって天国になるし紙一重だよ - あとは渡るか留まるか - という描き方をするのがLynchで、Fincherはどこまでもこの現世に留まって、その痛み鈍痛ひと揃えを解剖台の上に並べてみせる。

どっちがどう、って比べられるものではないが、80年代に出てきたLynch、90年代に出てきたFincher、って置いてみるとなんか分かりやすいかも。


結局時差ボケが半端に解消しない状態のまま、滞在24時間を切ろうとしている。映画ぜんぜん見れなかったよう。

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