1.21.2025

[theatre] Natasha, Pierre and the Great Comet of 1812

1月11日、土曜日のマチネ、Donmar Warehouseで見ました。
ここのいつものように売り切れていて、開始の3時間前くらいにどうにか当日の1枚が取れた。

トルストイの『戦争と平和』をモチーフにしたDave Malloyによるミュージカルで、すべてノンストップの音楽で綴られていく - Act Iで13曲、Act IIで14曲。 初演は2012年、NYのOff-Broadway、2016年のBroadway公演を経て、Londonにやってきた(日本でも2019年に上演されている) 。London公演の演出はTimothy Sheader。

Donmar Warehouseは広い会場ではないので客席が三方を囲む形、基本はパーティ会場仕様で、バンドが上段と、登場人物たちと同じ高さの壁際にも数名いる。上部にプラスティックなミラーで輝くイタリック大文字の”M-SCOW”があり、”O”は? というとでっかい電飾がついた可動式の楕円が円盤のように上から吊り下がって昇ったり降りたりする – ひょっとしてこいつがCometだったりもする? 登場人物たちは四方 - 客席の裏とかからばたばた登場したり去ったり、その出入りの振動がもたらす臨場感はちょっと戦争ぽくてよかったかも。

トルストイの『戦争と平和』を読んだのなんて大昔すぎてもう憶えてないわ - でもプログラムには人物相関図が描いてあるし、最初の1曲で歌いながら全員が全員の人物紹介をしてくれる - ここが楽しくてすばらしいのだが、楽しすぎてあまり残らなかったり。タイトルにある1812年だと原作本の第三巻から四巻めまでの、ナポレオンがロシアに侵攻してロシアがモスクワを放棄した後、ナポレオン軍もモスクワからの退却を決めて敗走して、そんな波にもまれて廃墟まみれの荒れたモスクワと、そこで散り散りになった恋人たちが引き裂かれたり諦めたり絶望したり、それら1812年のハレー彗星が予告した世界の終わりに人々の愛と思いはどんなふうに瞬き、流され、そこに留まろうとしたのか、等。

未見だけどモスフィルムが制作した映画版(1965-67)-全四部からなる大作と描かれた時代と人物は割と重なっているようなのだが、参考にしていたり関連していたりするのだろうか?

タイトルには二人の登場人物の名前があるが、全体としてはアンサンブルで、中心にいるのはぱりっとしたNatasha (Chumisa Dornford-May)と仲良しのSonya (Maimuna Memon)など女性たち - ファッションも含めてとてもかっこよい彼女たちの力強さと比べると男たち - Andrey (Eugene McCoy), Anatole (Jamie Muscato), Pierre (Declan Bennett)等 - はどいつもこいつも戦争で疲弊してぼろぼろで、大仰に嘆いては倒れたり死んだり、みんな暗い顔でだいじょうぶかよ? - だいじょうぶじゃない - くらいなのだが、こんな男たちの勝手な思いだの欲望だのに引きまわされて世界の果てだか終わりだかに向き合わされてしまう彼女たちがなんだか不憫なのと、それでも断固として続いていってしまう狭いんだか広いんだかの廃れた世界のありようはかつてどこかで見たような知っているような。

このお話、このエモ具合なら、どちらかというと『アンナ・カレーニナ』のほうが相応しいのではないか、って少し思ったりもしたが、やはり「戦争」を描きたかった、ということなのかしら。いまもすぐそこにある戦争の悲惨に繋げることも含めて。

音楽はエモ+スラブ民謡ぽいつんのめった旋律+(なんとなく)90年代ダンステリア風の躁状態を行ったり来たりしつつ、とにかくだれることなく、物語を運んでいってくれて楽しくて、ミュージカルだなあ、って思った。筋や人物を追わなくても楽しめたかも。


日本に来て時差ボケがようやく消えてきたと思った頃に検査入院がきて、寝たり寝させられたりで元に戻ってしまったような。常にどこでもひたすら眠い…

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