1.30.2025

[film] Cloud クラウド (2024)

1月26日、日曜日の、羽田からロンドンに戻る便の機内で見ました。

これ、日本に向かう便でも当然やっていたのだが、日本に向かう時にこんなのを見てしまうとあまりに不穏で不吉なことが起こりそうな気がして怖くて、なので戻りの便にした。戻りの方にすると、あの雲から抜けてよかったわ - さよならにっぽんー、っていうかんじになる。

監督&脚本は黒沢清。 もう、これだよね、しかないかんじ、懐かしいのとも少し違って、この爛れて錆びて腐れていく強い酸のような揺るぎなさ、どうにもたまらない。

冒頭、吉井(菅田将暉)が町工場に入っていってなにかの機具を安値で束で買い叩いて家に帰るとそれを撮影してネットにあげて、PC上のそれら商品がぜんぶ売り切れになっていくのを眺める。彼は「ラーテル」のハンドルネームで転売屋をしていて、この商売がおもしろくなってきたので数年間勤めていた工場を辞めてこれ一本でやっていこうとする。彼の上司で彼の昇格を考えていた滝本(荒川良々)は引き留めるが、吉井の意志は固い、というかそっちの仕事には興味を持てない。

郊外の一軒家に恋人の秋子(古川琴音)と移り住んで、バイトとして雇った佐野(奥平大兼)も加えて専業の転売屋を始めるのだが、思っていたように売れなかったり、不審者ぽい影や荒らしが出てきたりよくない空気になってきて…  ここまででよいか。

あまりカタギの商売とは思えない転売屋だが、日常にはふつうにあるし、誰もすごく悪い何かとは思っていないし、そういう土壌の上で、昔だと「一線を越える」のような表現で言われていた向こう側に行ってしまう行為や様相が、雲 – クラウドに覆われるようにじわじわと、気がつけばあらら、の状態として描かれていく。線から面への変容。

後半は転売屋「ラーテル」をやっちまえ、の声のもとに集まってきたどう見ても怪しい、けどふつうのようにも見える連中がわらわらと、これも雲のように湧いてきて、廃れた工場のような場所(絶妙)でがしゃがしゃした殺し合いが始まってしまう。各自が最初は殺っちゃった(どうしよ…)だったのがなんの躊躇いもなくぶっぱなすようになっていく過程が雪だったり雨だったり安定しない不気味な光のなかで描かれる。ノワールのがまだわかりやすい、だんだらのくすんだ模様と空気のなかでの、殺されないために殺す、自分の命を転売する、決断の重さとは反対側のぶっきらぼうで投げやりな軽さもあって、これもまたクラウドの?

登場人物たちの顔も全員一様につるっとプレーンで、なにかに憑りつかれたような声や威力を、その黒さ悪さを誇示強調する画面の動きや発声はない。やっていることはやくざ映画やギャング映画のそれと大して変わらないのだが。

これらはどれも、黒沢清の映画に特徴的な、(綿密に計算したうえでの)画面に写りこんでしまった何か、のような輝度と濃度、そのはみ出した影たちと共に語られていくので、ああこれだわ、と思いつつも凝視せざるを得なくて、凝視していると祟られたり後ろからばっさりされたり。

そしてこれはまたものすごく的確な、今のにっぽんの、富裕層ではない側の人々の働きながらおかしくなっていく姿を描いた映画にもなっていると思った。富裕層が腐って禄でもないのは当然として。


Space Cadet (2024)


↑と同じ機内で、にっぽんの暗い映画を見てしまったので、反対にアメリカの明るいのでも見てみようか、と。

フロリダで日々明るくパーティ暮らしをしているRex (Emma Roberts)は、幼い頃は優秀でいろんな発明したり、Georgia Techにも合格していたのだが母の病気~死で進学は諦めて、そこからは日々てきとーに遊び暮らしていたのだが、NASAの訓練生募集の広告をみた友達が、宇宙飛行士、夢だったじゃん! て偽の経歴で応募したらパスしちゃって、持ち前の度胸と軽さで他の候補生を蹴落としていくのだが、やっぱりあと少しのとこでバレて追いだされ、でも宇宙に行ったかつてのライバルのいる宇宙ステーションが何かの衝突で機能不全になって、このままでは全員窒息死という危機にRexは…

実話ベース… のわけがない、相当にめちゃくちゃで、いいかげんにしなはれ、の展開なのだが、その適当さ加減はとても21世紀の映画とは思えないのだった(半分ほめてる)。

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