1.19.2025

[film] Il gattopardo (1963)

1月10日、金曜日の晩、BFI SouthbankのLuchino Visconti特集で見ました。

英語題は”The Leopard”、邦題は『山猫』。原作はGiuseppe Tomasi di Lampedusaによる同名小説(1958)。上映前にAdrian Wootton - Chief Executive, Film London and British Film Commission - 大御所っぽい - からプレゼンテーション込みのイントロがあった。

アメリカのFoxが刈り込んで公開した最悪版を含めていろんなバージョンのが存在するが、今回のは2010年にカンヌでお披露目された4Kリストア版 - 186分 - 分のデジタル上映。自分が初めて見たのは2003年くらいのNY- Film Forumだったような。

BFIでの上映は2005年のViscontiレトロスペクティヴ以来だそうで、イントロではその際にトークでやってきたClaudia Cardinaleのお話しするシーンなども投影された。 ぜんぶ本物に、本物であることに拘って湯水のように時間とお金をかけて構築した世界があり、それはViscontiが本物の貴族だったからできたことだった、云々。

19世紀半ばのシチリアの貴族、Don Fabrizio Corbera (Burt Lancaster)のお屋敷の様子から始まる。邸内の厳かな雰囲気に対して、外からは喧しくいろんな音が聞こえてきて不穏で、全体としては貴族のお屋敷環境とは言えないようなきな臭さたっぷりで、やがてイタリア統一戦争になり、Fabrizioの甥で軽そうなTancredi (Alain Delon)は赤服のガリバルディの軍に参戦して調子よくやり合い、ついでに新興勢力の俗物Sedara (Paolo Stoppa)の娘Angelica (Claudia Cardinale)の美貌にやられて、叔父に彼女との結婚を認めてほしいと。

もう貴族の時代ではなくなった - 騒がしく浅ましく野蛮なものばかりがもてはやされ、それだけではなく自分たちの領土に軽々しく侵入してきて恥を知らない - どいつもこいつも! というFabrizioからすればすべてが忌々しい、新旧がせめぎ合い、一方が他方に侵食されて腐っていく事態・状態の連続を少し離れて俯瞰する目で捉えていく。ほぼそれだけなのに画面から目を離すことができないのは、あらゆるエピソードや人物や家具調度まで、あらゆる描写が極めて具体的かつ優れて正確だったから - Viscontiと彼のチームがやったから - としか言いようがない。

これが戦争だったら、もっと白黒つけやすいのだろうか - 邸内に響き渡る騒音とか教会前の通りの雑踏とかそれらを抜けていく人々の表情ややり取りの重ね合わせで編みこんでいく構成の見事さと、原作者も含めた貴族の最後の意地のようなものが漲っていて見入ってしまう。単線の、軸となる出来事や事件を巡って展開していくのではなく、この時点の社会まるごとを絵巻として広げてみせる。時間は掛かるけど、とにかく止まらない。

それが極まるのが延々と続くクライマックスの舞踏会で、Angelicaの社交界デビューとかAngelicaとTancrediの婚約披露とかいろいろあるのに蒸し暑くて騒がしくて何をどう眺めてもやれやれ、のなかでのAngelicaとFabrizioのダンスのとてつもない緊張感と滲み出てくる愛憎が描く油のような軌跡、その重奏感。映画というよりでっかいタペストリーを眺めていくかんじ。

Angelica というと、どうしてもManoel de Oliveiraの”O Estranho Caso de Angélica” (2010) - 『アンジェリカの微笑み』を思いだしてしまう。死んでいるのに手を引いてくる彼女。そして自身の死を見つめつつステップを踏みだすFabrizio。

Claudia Cardinaleはあのコルセットで腰回りが血まみれになったって.. あの細さはありえないわ。

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