1月1日、水曜日 - 元旦の正午、BFI Southbankで見ました。
今月の特集 - ”Luchino Visconti: Decadence & Decay”からの最初の1本で、今年最初の1本。なんでいまVisconti? はわかんないわ。
Viscontiのデビュー作で、原作はJames M. Cainの1934年の小説 – “The Postman Always Rings Twice”、なので邦題も『郵便配達は二度ベルを鳴らす』なのだが、映画は郵便配達とは関係ない話になっている – ので欧米でのタイトルも”Obsession” - 「妄執」で。
イタリアン・ネオレアリズモの最初の1本とされることもあるようだが、そこはよくわからず。
ファシスト政権下の検閲が入ってやりたいことができない状況のなか、30年代のフランスでJean Renoirから貰った原作小説の仏語版が彼を救ったと。ローカル・ネタのようでイタリア-フランス-アメリカの連合が背後にあったりするというか。 ファシズムから逃れた先 – この世の涯で男女の欲望を軸に空回りして壊れる三角形。お話しはぜんぜん違うけどルノワールの『浜辺の女』 (1943)を思いだしたりもする。
車の荷台に乗って埃っぽい道を抜けて、どこからかやってきたGino (Massimo Girotti)がポー川沿いの食堂/ドライブインに立ち寄って、そこにはやや疲れた/でもどこかが漲っているGiovanna (Clara Calamai)と動物のようなその亭主のGiuseppe (Juan de Landa)がいて、食事の後に追い払われたGinoをGiovannaは強引に呼び戻して、Giuseppeが車の部品を買いに行っている隙に近づいて関係をもって、そこからGinoはうまくGiuseppeに気に入られ、そのままそこで手伝いなどをしながら暮らしていくことになる。
いまの生活と亭主が嫌で嫌ですべて蹴っ飛ばしたいけど、家の外に踏みだすことまではできないGiovannaと、元が根無し草なのでどこにでもいける – なのでずっと縛られるのはごめんのGinoと、酒と歌が大好きでお人好しのGiuseppeの3G - 今でもどこの世界にでもいそうなこの三人が行き場のない、逃げ勝ちなんてありえないごたごたに首を突っこんだり突っ込まれたり。
Ginoはあのまま、途中で出会う大道芸人のように宿無しの旅を続けていけばよかったのに、Giovannaはあと少し我慢していれば夫は勝手に膨れて潰れて自由になれたかもしれないのに、どこかで何かがおかしくなった – それが”Ossessione”、というものなのか。一度憑りついてしまうと自動で動きだして止められない、取返しのつかないことを引き起こす、それが”Ossessione”。誰が誰に向かってそれを引き起こしたか、というよりその根源にある愛と欲望と自由をめぐる”Ossessione”についての犯罪スリラー。
ただ3人のなかで、もっとも先の自由を奪われて押し潰されて、しかも子供まで… でかわいそうすぎるのがGiovannaであることは確かで、そんな彼女の表情の移り変わりとありようを描いて、そこを基点として、まずGiuseppeがああなって、続けて彼女とGinoがあのような運命を辿る、ということについては、主人公たちの思惑を超えて明確な意図というか構図があって、それが当時のファシスト政権を苛立たせたのはよくわかる。単なる個々の「妄執」がなにかをしでかした、という話ではないの。
Giovanna役が当初想定されていたAnna Magnaniだったらどんなふうになっていただろうか? とか。
こういう一本から始まってしまう一年がどんなものになるのか - どっちにしたって碌なものにはならないだろうから、いいんだー。
1.10.2025
[film] Ossessione (1943)
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