7月8日、月曜日の晩、Curzon Bloomsburyで見ました。
英語題は”The Nature of Love”、2023年のカンヌの「ある視点」部門で上映され、今年のセザール賞でBest Foreign Film(カナダ映画)を受賞している – というとすごくシリアスな映画を想像してしまったのだが、ものすごくほんわかしたrom-comだった。
作・監督はカナダのMonia Chokriで、映画の舞台もケベックなのでフランス語。
市民講座のようなところで哲学 - プラトンとか古典よりっぽい – を教えているSophia (Magalie Lépine Blondeau)は十年以上一緒にいる夫のXavier (Francis-William Rhéaume)とそこそこ裕福な暮らしを送っていて、友人たちのサークルも同様、そこそこ知的に楽しくだらだら日々を過ごしていて特に不満もない – という不満が少し顔に出ていたり。
ある日、Sophiaが古くなっているのでリノベーションを考えている彼らの山小屋に行ったときに、地元の大工のSylvain (Pierre-Yves Cardinal)と会って、彼の粗野だけど力強いものの言い方や動作に惹かれて、彼もSophiaに惹かれて、あっというまに燃え広がり、要はふたりは一瞬で劇的に恋におちてひと晩一緒に過ごして、夜が明けて冷静になってみれば夢だったのかも熱病だったのかも、とか思うのだがどうもそうではなくて、Sylvainからは君のことを忘れることができない、と電話がくる。
ふつうに『チャタレイ夫人の恋人』とか、映画だと“All That Heaven Allows” (1955)などのまじめかつシリアスな階級格差モノの展開を想像してしまうのだが、そちらには向かわずに、TVみたいに極端なズーミングとか、所々に明るい(ややわざとらしい)ずっこけを盛りこんで、SophiaとSylvainの間のギャップ – これまでの生活環境、お互いの家族やサークルの違いからくる態度や指向のそれ - を明らかにしつつ、なんでこんなことになっているのか、それでも一緒になりたいのか、いまの関係をどうするのか、などを大きな渦巻や事件を持ちこまずに静かに考えさせていくような内容になっている。
それはSophiaが哲学の講師をやっている、というのもあるのだろうが、「愛とは」をずっと考えたり問いたりしてきたであろう彼女の惑いと決断、難しいことはわかんねえけど、と言いながらそれをちゃんと受けとめて自分の考えや想いを返すSylvainと、Sophiaとずっと一緒にいるので彼女の考えとその先が十分にわかっているXavierと、そういう人達の間でこうなってしまった愛がどこに向かうのか - 結論はこうなるしかないよね、というものになっている。大きな破綻も破局もない、誰も泣いたり死んだりしない、という点ではつまんない、のかも知れない。でも横たわるギャップはどこから来るのか、とかそれらをどう乗り越えるのか、を真ん中に置かずに、英語題の「愛の本質」とは? に静かに沿っていくとこうなるのよ、ってSophiaは確信に満ちて語るだろう。
ただ、このストーリー展開もキャラクター設定も、このテーマを軸に考えられて置かれているので、こんなうまくいくかよ、っていうのは誰もが思うところ - 本当にSylvainみたいなよいこがいたとしたらとっくに誰かと一緒になっているはず、とか – で、でもファンタジーとかSFと思えばいいんじゃないの、とか。
これ、男女の設定が逆で、男性側がSophiaで、女性側がSylvainだったら割と誰の目にもすんなり... に見えてしまうのだとしたら、それもまたThe Nature of Loveのありようを問うなにか – Natureとは? としてやってくるのではないか? とか。
7.17.2024
[film] Simple comme Sylvain (2023)
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