7.15.2024

[film] Àma Gloria (2023)

7月6日、土曜日の晩、BFI Southbankで見ました。気がつけば上映が終わりそうになっていた。

邦題は『クレオの夏休み』。日本でも公開が始まっている?
子供が辛そうな顔で泣いたりする映画って、辛くなるので見たくないのだがー。

監督はMarie Amachoukeli-Barsacq、プロデュースは“Portrait of a Lady on Fire” (2019) - 『燃ゆる女の肖像』や“Petite maman” (2021) - 『秘密の森の、その向こう』 を手掛けたBénédicte Couvreurが - というのが見ることにした理由。

パリにシングルファーザーのArnaudと暮らす6歳のCléo(Louise Mauroy-Panzani)が眼医者に行って自分用の眼鏡を作ってもらうのが冒頭で、これからはいろんなことがもっとよく見えるようになるから、と。

家ではナニーのGloria (Ilça Moreno Zego)が家事とCléoの世話をぜんぶ仕切っていて、Cléoも朝から晩まで彼女にべったりなのだが、ある日突然Gloriaのママが亡くなったので彼女の国 - アフリカのカーボベルデに戻らなければいけなくなる。Cléoが戻ってくるの? と聞くともう戻れない、というのでCléoはお先まっくらになって見送りの後も塞ぎこんでしまうのだが、パパが夏休みの間Gloriaのところに行っておいで、というのでCléoは喜んで飛行機のひとり旅にでて、Gloriaと再会する。

Gloriaは前とおなじくやさしいGloriaだったが、家には彼女の娘でお腹が大きいFernanda (Abnara Gomes Varela)とその弟ではっきりとCléoに敵意を示してくるCésar (Fredy Gomes Tavares)がいる。GloriaはもうCléoのことだけを見て遊んでくれる人ではなく、母が亡くなった後は彼女の子供たちの面倒も家事もぜんぶやる必要があってそんな余裕なんてなさそうだし、その子供たちからすれば、Cléoがなんでこんなところに現れてGloriaにくっつこうとするのかまったく理解できないだろう。

島の言葉や人々、漁でとれた魚とか火山とか海とか、Cléoにとって初めてのびっくりすることも多いのだが、これまで一緒に遊んでくれるママに近い位置にいたGloriaのまったく異なる側面を見ることになった – それによって独りで考えこむことの方が多くなるのと、忙しそうなGloria以外には誰も話しかけてきたり遊んでくれたりしないので、自分はこんなところになにしに来たんだろ? なにやってるんだろ? になる。(そんなふうに泣きたくなるかんじは、ものすごくよくわかるよ。いまだに)

やがて(産みたくないって泣いたりしていた)Fernandaには赤ん坊が生まれてGloriaは更に忙しくなってしまうのと、Gloriaが留守の隙に彼女のお金をくすねたCésarのことでGloriaに怒られてしまったCléoは泣きながら海のほうに…

監督自身がナニーのいる家庭で育ち、大人になった今でも彼女との関係は続いているそうなのだが、母娘関係とはまた別に、ナニーと子の、ふたりだけの - 単にお金で雇われただけではない関係というのがあって、そういうのを描いてみたかった、と。あとはナニーの側の事情 - 国に家族を置いて出稼ぎで先進国に来ている - などについても。

Coming-of-ageものとして、Cléoの辛さもGloriaの家族ひとりひとりの大変さも等しく描かれているので無理がないのと、ここに出てくる全員に父も母もいないんだな、って。Cléoのママはいないし、Gloriaもママを失うし、姉弟にはママがいない状態だったし、Cléoのパパは飛行機を手配するだけでなんもしないし、Gloriaに夫はいないし、Fernandaの赤ん坊の父親は誰だか示されないし。父母が、家族がいればすべて解決するとは思わないが、いなくてもこんなふうになんとかなるもの、というのを悲観も楽観もなく描いた - 帰りの空港でのCléoの顔がすべてを語っていて、よかったねCléoもGloriaも他のみんなも、になるの。

あとは、Cléoの眼鏡とほっぺたと髪の毛が漫画みたいに素敵で、監督は彼女を事務所の近所の道端で見つけたらしいのだが、80歳くらいの老婆にみえた、って。

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