7.16.2024

[film] The Conversation (1974)

7月7日、日曜日の昼、BFI Southbankで見ました。
50周年記念のリストア版がここだけじゃなくて英国中でリバイバルされている。邦題は『カンバセーション…盗聴…』。

丁度Francis Ford Coppolaの新作 - ”Megalopolis”の予告がIMAXとかでかかり始めていて、この爆裂感(はったり)はこの作品あたりから繋がっているのではないか、とか。

“The Godfather” (1972)と”The Godfather Part II” (1974)の間に撮られて、やがて”Apocalypse Now” (1979)へとなだれ込む彼の70年代作品群のなかで唯一参照する原作のない、パーソナルかつ最も生々しく見える一本。

冒頭、サンフランシスコのユニオンスクエアを俯瞰する構図からカメラが下りていって、やがていろんな角度からのカメラ… ではないマイクロホンがそこを歩いていく若いカップル(Frederic Forrest, Cindy Williams)の会話を追おうとしていることがわかる。

そのチームを指揮しているのがHarry Caul (Gene Hackman)で、彼はそうやって録られた素材を仕事部屋に持ち帰るとメンバーのStan (John Cazale)らと一緒に、3台のオープンリールデッキを使ってフィルターして補正して重ねたり解像度をあげていって、なんとか彼らが話している内容を聞き取ろうとする – オープニングからここまでだけでめちゃくちゃスリリングでおもしろくて何度でも見たくなる。

盗聴のプロの世界では実績もありスター扱いされている彼はどこかの組織に依頼されてその結果をRobert DuvallとHarrison Fordのいるオフィスに届けにいくのだが、きな臭い、ハラスメントぽいなにかを感じて報酬を受け取らずにその場から去る。

ここから先は、カップルの周辺に起こるかもしれない危機と、それに対する罪の意識 – そこにこれまで自分がやってきたことが全部重なって、近寄ってくる女性たち(Teri Garr, Elizabeth MacRae)も信じられなくなって、教会に告解しにいったりしてもだめで、やがてカップルの会話にでてきたホテルの部屋に行ってみると… というのと、その探索の過程で自身の行動も含めすべて盗聴されていることを知った彼は…

仕事人としての自分の経験や感度が研ぎ澄まされていけばいくほど、自分の足元が崩され(or 自分で崩して)身動きがとれなくなっていく恐怖を44歳の誕生日を迎えるHarryの姿 – よれよれではっきりとかっこよくない - を追いながら極めてリアルに描いていて、なにかに憑りつかれて暴走していく個とそこに立ち塞がって潰しにくる集団組織、というのはコッポラ作品のテーマのひとつではあるが、それにしてもなにもかも静かに怒涛すぎる。

ここから50年経って、人々の会話はSNSでもチャットでもスーパーで簡単に買える技術の組合せで誰でもなんでもいくらでも「共感」や「Like」を理由に晒したり掘ったり探ったりができるようになり、どう守るかよりも何を守るか - 晒されて騙されたり攻撃されないようにするかが重要で、その反対側で、やたら上からは「解像度」みたいのを要求されてうるさいし、「陰謀」なんていくらでも作られちゃうし、結局なにもかも上の方の思う壺の世界になってしまったよ – 壁や床板はがして剥きだしにしても、なにしたってムダだよ、と。

そして、この状態になった世界でコッポラが繰りだしてくる”Megalopolis”の像がどんなものになるか、楽しみでしょうがない。


Interstellar (2014)

7月7日、七夕の日曜日の晩、BFI IMAXで見ました。IMAX 70mmでの上映。

BFI IMAXができて25周年かなんかで、過去のIMAXで当たったヒット作などを単発でリバイバルしていて、この作品も他のChristopher Nolan作品と並べて上映されているのだが、これだけはなんか人気らしく、発売日にチケットを取りにいってもすぐ売り切れている状態が何回か続いていてようやく。

IMAXではない70mm版は、前回いた時の2017年にPrince Charles Cinemaで見て、この時もたしか満員になっていた。

わたしもChristopher Nolan作品のなかではこれが一番好きで、たぶんもう4回くらい見てて、飛行機でも見るのがなくなった時はついぼーっと見てしまったりする。

何回みても隅から隅までなにがなんだかわかんないのに、なんとかなるじゃんー、とか、これはわかんなくてもいいやー、みたいになる清々しいいいかげんさに溢れている。

地球が危機になって、NASAの移住計画のために宇宙探査の旅に出るのと、当然いろんな危機や困難がやってくるのだがMatthew McConaugheyがあの調子で乗り切っていく - 歳をとらないのもその一部 - のと、結果としては二組の白人父娘と数式と詩だけでほぼぜんぶ解決しちゃうの。パイプオルガンがきらきらと降り注いできて。とんでもなく傲慢だし強引だし適当に見えるしなんなのこれ? なのに最後の方はなんでか泣きたくなってしまったりする。人類が救われたから泣くのではなく、ずっとひとりで待っているAnne Hathawayのこととか。

本棚から本を落っことしてモールス信号とか、縦の重力(?)前提で成り立っているのもふざけんな、のひとつで、本棚がなかったりしたら棚の外に、横にして積んでいたら破滅しちゃうのかよ、とか、鈍器本を落として床が抜けたらどうするのか、とか、腕時計持っていなかったら - 持ってないよ - だめなのか、とか。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。