7.30.2020

[film] Walk on the Wild Side (1962)

22日、水曜日の晩、Criterion Channelで見ました。7/31で去ってしまうリストからひとつ。
邦題は『荒野を歩け』…  西部劇でもなんでもないのに。都市のノワール/メロドラマなのに。

2011年にMoMAで”Saul Bass: A Life in Film & Design”ていう本の出版を記念したイベントがあって、Chip Kidd氏とかが講義をしてくれたのだが、そのオープニングで、まあこれを見てみ、ってかんじで流されて観客全員がすげーってどよめいたのが、Saul Bassによるこの映画のオープニングロール - 黒猫と白猫の土管バトル(実写)だった。ここだけでも見る価値ある伝説の1本。いや本編もおもしろいけど。

大恐慌時代の西部を旅しているDove Linkhorn (Laurence Harvey)がある日の寝場所を探して土管に来たら先に寝ていたKitty (Jane Fonda)とぶつかって、やがて一緒にヒッチハイクしたりしてニューオーリンズを目指すことになる。Doveがなんで、なんのためにニューオーリンズに向かうのかわからなくて、ふたりきりの時にKittyが誘いをかけてものってこない。

ニューオーリンズに着いて最初に入った食堂でKittyは盗みを働こうとしたのでDoveは彼女を野良猫みたいに追い払って、そこの女主人Teresina (Anne Baxter)のところで下働きをしつつしばらく世話になることにする。ここで始めてDoveは離れ離れになって消息が途絶えている自分にとって運命の彼女 - Hallie (Capucine)を探しにきたことがわかる。

そのHallieはフレンチクォーターのJo Courtney (Barbara Stanwyck)が女衒をしている売春宿で高級娼婦として働いていて、でもそもそもこの世界に馴染めていないのでその境遇に絶望して離れたがっている。ここをJoが彼女個人の愛みたいなのも含めてなんとか引き留めているところ。そこに新聞の尋ね人欄でようやく消息をつきとめたDoveが現れて、Hallieはあたしはこんなふうになっちゃったのだからだめよ、って諭して追い払うのだがDoveはどうしても諦めきれなくて、館のやくざに何度ぼこぼこにされても戻ってくるの。

他方でKittyはDoveと別れたあと刑務所にいたところをJoのお店に引き取られていて、JoはDoveとKittyが知り合いだったことを知ると、それをネタに(未成年のKittyを連れまわしてここまで来たことを警察に言えば逮捕されるぞって)Doveを脅して、これ以上関わるなHallieには近寄るな、ってやくざ&警察を背後に並べていう。

でもやっぱりDoveは諦めきれなくて..

ノワール、と書いてしまったが、業や罪を背負った宿命の男女が闇のなかで破滅に向かって歩んでいくのとはちょっと違って、互いにとっての光であり宿命であるHallieとDoveはどこまでも一途に互いのことしか信じられなくなっていて(それしかできないくらいに傷ついていて)、それ故に彼ら周辺のドラ猫模様 - 膝から下を失っているJoの夫とJoの愛憎とか、どこに行っても除け者のKittyとかとの対照 - が際立ち、そいつらがフレンチクォーターの湿った空気のなかで違いに引っ掻きあって傷だらけのぼろぼろになっていくメロドラマなの。

これもまた”Desire”行きの路面電車が走っているフレンチクォーターの、これもまた無情に壊されてしまう無垢な夢の物語で、どこまで果てなく悲しい土地なのだろうか。食べ物と音楽はすばらしいのに。

中心にいるふたりの薄く儚い透明なかんじもよいし、脇をぐるぐるまわるBarbara Stanwyck, Anne Baxter, Jane Fonda - 見事に全員猫だ – もすばらしくよいの。

あと、あの結末はあれでよかったのだろうか、ていうのはちょっと思う。いまだに思う。

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