6月28日の昼、Kent Film Foundationていうとこの企画で、30th AnniversaryのスクリーニングとQ&Aがあって、オンラインで見ました。権利関係で難しいところがあるらしく登録して寄付するとリンクとパスワードが送られてくる。日本でも91年に『エンジェル・アット・マイ・テーブル』のタイトルで公開されているニュージーランド映画。
Jane Campionが“The Piano” (1993)の前に撮った長編で、ニュージーランドの作家/詩人Janet Frame (1924-2004)の自伝三部作 - ”To the Is-Land” (1982) - “An Angel at My Table” (1984) - “The Envoy from Mirror City” (1984)を映画化したもの。ニュージーランドからヴェネツィア国際映画祭への初エントリーとなった作品で審査員特別賞を受賞している。全部で158分、撮影は16mmで12週間かけて撮ったそう。映画も原作に合わせてPart1から3まで分かれている。
冒頭、もしゃもしゃ赤毛の女の子が野道をこっちに向かって歩いてくるだけでなんか素敵。
20年代、ニュージーランドの田舎の村で、5人兄弟の大家族の中でわいわい育てられて友達と遊んで大人の世界を少しのぞいたり肉親の死を経験したり詩が大好きで本が手放せなくなっていく幼年時代を綴る第一部。
戦争の暗さが立ちこめる中、Janet (Kerry Fox)は将来詩人になる夢をもって妹と一緒に都会に出て師範学校に通って、窮屈な下宿で教師になるべく学んでいくのだが妹と比べると学校での対人関係がまるっきりだめで、検査官の参観する授業の肝心なとこで生徒の前で固まって動けなくなってしまう。いろいろ追い詰められて自殺未遂まで行って、でもなんとか持ち直して、優しくしてくれた教授に紹介された医院に行ってみたら統合失調症と診断されてそのまま8年間拘束、数百回の電気ショック療法を受けて .. ほぼ廃人状態になって母親が合意したロボトミー手術をやる一歩手前で、ずっと書き続けていた短編が認められて出版される - これが日本でも翻訳が出ている『潟湖(ラグーン)』 - というニュースが、という第二部。
作家として認められて得たフェローシップで初めてニュージーランドを出てロンドンに滞在し、しばしのしょうもない下宿住まいを経てスペインに渡り、変わらずアーティストのコミュニティに馴染むことができないのだが、それでもそこにいたアメリカ人とぎこちない恋に落ちてぎこちなく別れたら妊娠していて流産して、でも精神科での体験を書いた本がベストセラーになって少しほっとしたら父の死の報を受けてニュージーランドに戻る - そしてそこからまた始まるなにか - という第三部。
すべてがでっかく不可思議に見えてしまう少女時代 – 大きな父親の靴に寄っていくとこ - とか、そしてすべてが横並びの気がする学生時代にどこに行っても中心からずれて揺れまくってしまうとこ - とか、大人になってからも気楽にハグもキスもできやしないとこ - とか、今だとずれてイケてない女性と呼ばれるに違いないその典型がそれぞれの時代時代でぜんぶ並べられているかんじなのだが、どの場所のどんな時代のものだったとしても、波乱万丈でなかったとしても、ひとりの女性の成長物語としてとてもきちんと正確に、彼女が見ていた世界を捉えている気がした。(制作時には存命中だったJanet Frameさん本人からいろいろアドバイスを貰ったそうな)
彼女のプロフィールを語る際に欠かせないと思われる「狂気」について、精神病院での日々については特に強調されるような描き方になってはいない。 どんな「狂気」も本人からすればそういうものなのかも知れないが、なんで彼女が創作を志したのか、を幼年期のエピソードから丁寧に拾っていくことで、すごく当たり前だけどこれはわたしの生なんだ、ということを少し強く言っているだけなの - それを狂っている、とかヒトが言いたきゃ言えばいい、と。
それにしても『ハチドリ』から続けてここに来ると女性の生き難さ - これが自分の生だ、と正面から言えない壁とか溝とか穴とか、規格から外れたら暴力的に病院とか監獄に送ってしまうような不寛容がいくらでも、世界のそこらじゅうにあって続いてきたのだ、この100年くらいずっと - を改めて徒労感としんどさと共に思う。なんとかしないといいかげん。
日曜の晩22時からZoomでQ&Aがあって、プロデューサーのBridget Ikinさん、主演で、これが映画デビュー作だったKerry Foxさん等が参加していた。女性たちで女性の映画を撮る、ということが当時どういうことだったか、を中心に。
東京都知事選に行きたい。こちらに来る前に住民票は外して住民税はもう払っていないので投票することができないのはわかるけど、それまで何十年も暮らしてきたし戻ったらたぶんそこで暮らすつもりなので関係ない人の目で見ることができない。 めんどくさいとかかわんねーしとか言って投票に行かないバカの1票を取りあげて自分が行きたい。 そういう思いで遠くから見ているひとがいることをわかって。 そして投票に行って。 日本の都市をこれ以上ださい薄っぺらなのにしないで。
7.04.2020
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