8日、水曜日の晩、YouTubeで見ました。New Yorker誌で紹介されていたので、程度。
日本ではTV放映のみらしく、邦題は『ハッピーエンド/幸せの彼方に』。
1953年のコロラドで、Mary (Jean Simmons)とFred (John Forsythe)は情熱的に出会ってデートしてそのままMaryは学校をドロップアウトして彼と結婚して、ものすごく幸せなカップルになる .. はずだった。(このバックに流れるMichel Legrandの音楽がロマの極致みたいに攻めたててとんでもない)
時は流れて1969年、16周年の結婚記念日の朝、FredはいつものようにMaryに愛しているよ、とか言いつつも彼女のクローゼットのブーツに隠してあるウォッカを見つけたりしてて(他に香水瓶にもウォッカ入れてスプレーして飲んでいたりすごい)、Maryが既に裏でぼろぼろであることは知っているのだが何をどうしたらよいのかわからなくて、そんななかMaryは美容院に行ってそのままバハマへの片道チケット(NYワンストップ)を買って飛行機に飛び乗ってひょいって家出してしまう。
よく眠れない機内で、またバハマに流れ着いてからもMaryの脳裏には昨年の結婚記念日のパーティでFredがいちゃいちゃしていて荒れたことや、その後に薬飲んで自殺未遂を図ったこととか、いろんなうんざりもういやだがフラッシュバックしてきて、またことあるごとに主人公が見ていたり背後で流れていたりした”From Here to Eternity” (1953) - “Smilin' Through” (1932) - “Casablanca” (1942) - “Father of the Bride” (1950)といったハリウッド・クラシックスの場面が挿入されてくる。
バハマに向かう途中でMaryは大学の同窓生のFlo (Shirley Jones)と出会い、彼女は現地でお金持ちの彼とランデブーする予定で、結婚はしないでいろんな男を渡り歩いているようなのだがへっちゃらで楽しそうで、宿も取らずろくな荷物も持たずに飛んできたMaryに宿も服も世話してくれて、Maryはそうやって街でジゴロみたいな詐偽男と話したり、夜の浜辺をうろついたりしながらいろいろ考えるの。
立派な家があってメイドもいる今の生活に不満があるわけではないし、夫は(裏ではなんかやっているのかもしれないが)暴力を振るうこともなく愛がないこともないし、娘も立派に育っているし、でも何が不満なのか我慢できないのか – いやそういうのとも違って単に生きてない気がする - つまるところ結婚って幸せになるための解とか策ではなかったのではないか? そもそも結婚てなんだったの? という古いようで新しいテーマ - ヨーロッパだとDouglas SirkとかR. W. FassbinderとかIngmar Bergmanあたりが探ってきた – をアメリカのクラシカルな夢とか幻想にぶつけてみること、或いはニューシネマ的な無頼の流れに乗せてみようとした、ようにも見える。Maryの背後には当時のTVの映像 - ニクソンの就任とかプロテストとか、前述のクラシック映画、等が頻繁に流れていて、そういう書割のなかに置かれたドラマであるということ。
結末は書かないけど、単純な絶望とか破局・破滅には向かわない、誰にもなにも期待しないでひとり向こうに行ってしまうところもよくて、つまりあくまで彼女が志向するのは”The Happy Ending”、あるいは、Happy Ending的な何かの否定、なのではないか。 こういうテーマの作品がなにがなんでもよい男を見つけてしがみついてよい結婚することを至上命題としてアクロバティックに弾けまくる80年代のRom-comの約10数年前にあった、というのは興味深い。
監督のRichard Brooksが脚本も書いて、当時の妻だったMary役のJean Simmonsはオスカーの主演女優賞にノミネートされている。Michel Legrandの音楽も含めて映画全体のタッチと雰囲気はしっとりしたクラシカル・ハリウッドとしかいいようがないのに、なんだか過激でかっこいい。
そして、この翌年に"Wanda" (1970)がリリースされるのはたんなる偶然だろうか?
BA (British Airways)からダイレクトメールが来て、23日までに予約すればマヨルカ片道£22からとか、イビザ片道£29からとか、マラガ片道£25からとか煽ってるので、みんな大変なんだな、と思いつつもなにかが揺れはじめた気がした木曜日。
7.17.2020
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