6日、月曜日の晩、Criterion Channelで見ました。タイプライターに関するドキュメンタリー。
California Typewriterはバークレイにある新品・中古のタイプライターを販売・修理をする個人商店で、1967年にIBMの人がひとりで始めて、今年の3月末にその歴史を閉じている。
映画は、みんなタブレットとかスマホとかPCの時代に旧いタイプライターを拾ってきてこつこつ修理して売っているのか、その思いを綴るのと、タイプライターを使う側としてTom HanksとかSam ShepardとかJohn MayerとかDavid McCulloughといったセレブが、なんでタイプライターなのか、彼らの創作活動においてタイプライター、タイプするということがいかに重要なのか、をこれもたっぷりのカメラ目線で語るのと、アンチークのタイプライターを追いかけていくコレクターと。
全体の中ではセールスマンみたいに快活に流暢に喋りまくるTom Hanks氏が最高で、つい欲しくなってしまうのだが、通してみると、わかんなくはないけど、これってやっぱり男の道具なのかなあ、とか。眉間に皺の作家先生が原稿用紙とか万年筆について「君にはわかんないだろうけどな」みたいな態度と調子で語るのを聞いているような。おもしろいけど。
タイプする、指でキーを叩いて字や文章にしていく快感はわかるし、自分の好みにあったキーボードがあったらいいだろうな、って夢想するのだが、PCのキーはラップトップだと3年くらいで変わっていく消耗品で、そんなハードに自身を適応させるしかない感覚(奴隷性)が根付いてしまっていてどうしようもない。自分でタイプしたり手書きしたもの(All stream of consciousness)をそのまま雲の向こうに流通させられるような技術ができれば可能になるのかもしれないが、これはキーを叩いて紙に打ち込む、ペンで紙に書く、それで滲んだり痺れたり、といった身体の歪んだ快楽とかと結びついていて、思っているほど簡単にデジタルと相容れるものではない気がする。紙の本 - 古本に触れて読書するのが絶対なくならない(これは確信)のと同じやつで。
あとは自分が英語だけで読んで考えて書いてできたらどんなに楽だったかしら、って。漢字カナ変換なんかもさー、とか、他方でこれってコミュニケーション信仰とか生産性信仰に囚われたしょうもないなんかだなーとも思い、そういう点でもTomが薦めていたSmith-Coronaのとか触ってみたいな。 あとこれ、ミシンでも同じような映画できないかしら。
Carmine Street Guitars (2018)
11日、土曜日の夕方、”First Cow”を見る前にCurzon Home Cinemaで見ました。これは日本でも公開されていたやつ。
NYのヴィレッジにある地元で出た建物の廃材とかを調達してそこからハンドメイドのギターを作って売る、これも特殊な道具を扱う個人商店のドキュメンタリー。
タイプライターは文字を入力する道具で、ギターは楽器なので入出力両方でどちらもそれを使う人の好みとか技量とか音楽への愛、等々によって偏愛の度合いも変わってくるのかも。タイプライターはなくても文字は書けるしPCだってあるし、だけどギターの音はギターでなければ出せないのでギタリストのギターに対する熱量って人によっては相当なものになる、のはわかる。
というわけで月火水木金と普段のお店の様子とお店を訪ねてきてそこのギターを弾いてギターについての与太話をするギタリスト - Lenny Kaye - Bill Frisell - Jim Jarmusch - Dave Hill - Eleanor Friedberger - Nels Cline - Marc Ribot - Charlie Sexton といった人たち。
店主でひとりでギターを作り続けるRick Kellyさんと店番をしている彼の母親と、主にギターアートを担当する女性の3人がいて、その哲学のようなものが開示されるわけではなくて、出来あがったものがただ並べられている店内にその生涯をかけてギターの音を探求し続けているギタリスト – ほぼ全員ライブで見たことある人たちだわ - がふらりと現れて音を鳴らしてわお、ってなる、その幸福な風景ときたらない。
ここに出てくるギタリスト達って、それぞれ特徴的なギターの音を持っているのだが、彼らってエフェクターを駆使してギターの音を作って加工して、というより、弦を引っ掻いたりネックをひん曲げたりして起こした手元の振動をどうやって大きなエレクトリックの振動とかアンプの圧に乗せてみんなの鼓膜に響かせるか、そういうことに注力してきた人たちだよね。ここに出てこない人で誰がいるか.. Tom Verlaineとか?
それぞれのギタリストでそれぞれによい音が鳴るのだが、生きていたら間違いなくここに登場したであろうLou Reedの音が延々響いている。”New York” (1989)から”Ecstasy” (2000)の辺りまでのごりごりした音が。失われてしまったバーやホテルの木材がかつての姿を思い起こさせるのと同じように、Lou Reedがギターを抱えて少し上を向いて、恍惚となった顔が見えて聞こえてくるので、よい映画だと思った。
Jonathan Demmeに捧げられている。わかるー。
一番うけるのが、お母さんが何度直してもひん曲がってくるRobert Quineの肖像。Lou Reedがいるように、彼もそこにいたのね。
7月15日って、夏休みまであと一週間で、来るぞ来るぞって助走に入るあたりのはずなのだが、風が冷たくて寒すぎる。暑いとそれはそれで文句いうのだが、ちょっとこれはー。
7.16.2020
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