7.07.2020

[film] On The Record (2020)

1日、水曜日の晩、BFI Playerで見ました。音楽業界での#MeTooを追ったドキュメンタリーで、公開直前にExecutive ProducerのOprah Winfreyが出資を引きあげたりいろいろあったようだが、とりあえず見る。

冒頭、主人公のDrew Dixonさんがこんなのがあるのよ、ってJunior M.A.F.I.A.のデモのカセットを見せてくれて、それはDef Jamの前身の頃にBiggieからひょいって貰ったという、要は彼女はそういうシーンの、交差点のど真ん中にいた人で、Def Jamが立ちあがってからはA&R, Directorとして”The Show (Original Soundtrack)” – これは一時期どこに行っても売ってた - とかを手掛けて成功させた、それくらいにすごい人なのだ、と。

90年代のDef Jamときたらそれはそれは最強で、音楽だけじゃなくてMTVもHBO's Def Comedy Jamとかメディア関係も押さえていて、その創業者Russell SimmonsときたらHarvey Weinstein以上のbig nameと影響力を持った人だと思う/思っていた。

彼女が受けたsexual assault、更に映画の中で紹介される同様の告発をしたあと2名(全部で20名以上いるうちの2名)の内容についてはこの映画と公にされた際のNY Timesの2017年12月13日の記事 - "Music Mogul Russell Simmons Is Accused of Rape by 3 Women" – を見てほしいのだが、ポイントは何故彼女(たち)が告発に踏み切ったのか、Weinsteinのケースが出てきたから乗った、っていうだけではない、ということ。

もうひとつはWeinsteinのケースは白人女性が生態系の最上位にいる白人男性を告発するというものだったが、このケースでは最下位にある黒人女性 – この点は議論あると思うけど – が決して上位にいるわけではない同胞の黒人男性を告発する、というものでこれはどうなのか? Russell Simmonsも、映画の後半に出てきて同じように告発されるL.A. Reidも、ビジネスリーダーとして認められた数少ない黒人の経営者だし、更にDef JamがリリースしてきたHip Hopは歴史的な迫害や差別に対抗し黒人の誇りや意識を呼び覚ます、そういう役割を担ってきた文化ジャンルではなかったのか? (Oprahが引きあげたのもこの辺の捉え方・描き方にギャップがあったのでは)

Drew DixonさんはDef Jamを退社後、Arista Recordsに行って Clive Davisの下でLauryn HillやSantanaを手掛けて成功に導いてその手腕を見せつけるのだが、Clive DavisからL.A. Reidに変わったところで彼から同様のsexual assaultを受けて(こちらも複数件の告発あり)退社して、音楽業界から身を引いてしまう。

ひとりの女性が情熱をもって取り組んできた仕事を棄ててしまう、それだけでなく既に自分は死んだ/殺されたかのように自分を、自分の生を見るようになる、この時点で相手が誰であれ、告発され糾弾されるべきだと思う。そして、そこへの道は開かれていなければいけない。この件はNY Times紙の記者による長期のインタビュー取材が実を結んだものだが、誰もがそういう環境に置かれているわけではない、という点は頭に留めておきたい。伊藤詩織さんの件だってまだー。

NY Times紙に記事が掲載された後、Drew Dixonさんは離婚して引っ越して再び音楽の方に踏み出そうとしていて、彼女は記事が出た後でつかえが取れてようやく思い切ることができたのだ、と。

本告発についてRussell SimmonsもL.A. Reidも全面否認していて、なのでこの映画にもインタビュー映像は出てこない。これだけ具体的に言われていたら黙るしかないのか。
出てこないだけでRockの世界とか他にも相当、いくらでもありそうだし、「そういうものだから」はもう通じない。通用させてはいけない。

あと、本題から少し脇道にそれたとこで、ポピュラー音楽はThe Beatlesの頃からずっとミソジニーに溢れていたのだ、っていう指摘があってそれはそうだねえ、って。いまからそれ故に選り分けて聴くようなことはしないけど、過去の表現は – これは文学でも映画でも漫画でもそうだけど - 注意して見たり聴いたりするようにしたい(し、するようになってきた)。自分の感動や快楽は誰かの苦痛や悲しみの上に乗っかっている可能性がある – という想像力を養っていくためにもいろいろ見たり読んだり聴いたりしていかないと、ていう歴史のレッスン。 そんなのつまんない? 「そんなの」程度で諦めるような愛ならやめちゃえ、とか。

後々の文化史では、Harvey Weinstein以降の映画、Russell Simmons以降のHip Hopはどんなふうに語られることになるのかしらん?


今日のBBCは朝からずーっと”The Good, the Bad and the Ugly” (1966)のぴろりろりー の音楽(あとたまに”Cinema Paradiso” (1988)とか)をえんえん流し続けてくれて、ずっと頭のなかでぐるぐる回っていて、ものすごい巨匠が亡くなったことはわかるけど、もうちょっと相応しい音楽があったのではないか。 映画音楽ってこれくらい強いものなのね、って改めて。  合掌。

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