6月26日、金曜日の晩、MUBIで見ました。Pride Monthだし、くらい。2015年のフランス=ベルギー映画。英語題は”Summertime”。
71年、フランスの田舎の村でDelphine (Izïa Higelin)は農家の一人娘で父親母親と毎日外で畑仕事をしてて忙しい。彼女はレスビアンで近所に女友達もいるのだが、夜に会ったら結婚するのでもう会えない、とか言われてどんよりして、父親も結婚しないのかってうるさいのでパリに出ることにする。
パリに出たDelphineはフェミニストの女性たちの抗議活動にぶつかって、彼女たちを助けたことからそのグループに出入りしてビラ作成とかプロテストを手伝うようになり、グループメンバーの友人でゲイであるが故に電気ショック療法で虐待されていた男性を精神病院から救出した時に、仲間のCarole (Cécile de France)と出会って、背が高くてさばさばした彼女にぽーっとなってキスしたら、あんたなによ! って言われる。Caroleには同棲している彼もいたのであたしはゲイじゃないからね、ってDelphineには言うのだが、何度か会っているうちにふたりは仲良くなっていって、関係を持つようになるの。
やがてDelphineの父が倒れて入院して、命は取りとめたものの半身不随になって、農場を守らなきゃいけないので彼女は実家に戻って再び農作業に復帰して、そこにCaroleが訪ねてきてDelphineの家に泊まって畑仕事の合間にべたべたするようになる - とそのうちDelphineの幼馴染とか近隣の農家の男たちはなにか気づき始めて、初めは仲いいのね、って言っていた母にも知られてしまい、気まずくなってきて..
本当に直球のGirl meets Girlのお話しなのだが、女性同士、というだけでいろんなことがいろんなところで軋轢と混乱を呼び起こしていた時代と場所と階層の段差を見渡すことができる。 70年代初、パリではあれこれオープンになりつつあったとは言えCaroleと彼の間で、彼は理解を示すふりをしつつ我慢できなくなっていくし、それが田舎に行けば尚のこと、村の衆は好奇の目と恥の意識を掲げて首をふりながら女性ふたりを潰しにかかる。 でもずっとプロテストをやってきたCarolとDelphineはその程度の偏見はわかりきっていたこと、って最初は相手にしないのだが、だんだん疲れてくる。 田舎でのびのびおおっぴらに愛を交歓していたふたり、それがとっても気持ちよさそうで素敵だったが故に、外から来る冷たさや嘲笑によってゆっくりと疲弊していく描写はとても生々しく辛い。
特に最後の駅のホームでの一緒にいくか別れるかのやりとりと駆け引きのところ、男女のそれとはちょっと違う気がして、よいシーンなのだがいろいろ考えてしまう。これに続いて描かれる5年後で少し暖かくなる。
いま、状況は少しはよくなっているのか、都会と田舎、男性と女性という軸で見れば余り変わっていないのではないか - と思ってしまう根拠はなんだろ?
描かれた時代はこないだ見た“Misbehaviour” (2020) - これはロンドンだけど - とかドキュメンタリーで見たDelphine Seyrigさんの頃ので、あの頃のがなぜ今? というのは単に50年だから、とか言わないで。
(監督によると主人公ふたりの名前は Carole RoussopoulosとDelphine Seyrigから取っているのだそう)
ロンドンではパブとか美容室とか再オープンの初日で、ぜんぜん外に出る気のしない肌寒い曇天なのにパブ方面はものすごい賑わいだった模様。ほんとにしょうもねえ.. 床屋はどこもドアを開け放って、みんなとっても嬉しそうに髪をやってもらっていた。
7.05.2020
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