7.13.2020

[film] Miss Juneteenth (2020)

4日、土曜日の晩、BAMのVirtual Cinemaで見ました。独立記念日だし、くらい。
監督Channing Godfrey Peoplesさんの長編デビュー作。

今年はBLMもあったせいか、6月19日のJuneteenthはより盛大だった気がするが、これはテキサスで行われてきた(本当にあるのかどうか不明)Miss Juneteenthページェント - 優勝者には大学への奨学金とかその後の輝かしいキャリアが待っています - を舞台にしたドラマ。

シングルマザーのTurquoise (Nicole Beharie)はかつてMiss Juneteenthページェントの勝者だったものの(途中で妊娠してあれこれ諦め)今は定職もなくバーメイドでトイレ掃除をしたり、葬儀屋で死化粧のバイトをしたり、でも電気代の支払いにも困って電気を止められたりしている。

彼女の夢は娘のKai (Alexis Chikaeze)をMiss Juneteenthに出して自分と同じように優勝させることで、それが彼女の夢であることをずっとKaiには言ってきたし、Kaiも母親の夢でありほぼ唯一の誇れる過去であるらしいそれを否定するわけにもいかないのではいはい、って割と素直に準備とかリハーサルに付きあっている。

のだが、ページェントのエントリーだけでもすごくお金が掛かるし衣装だって買わなきゃいけないし、肝心なときにバーのオーナーのおっさんが倒れちゃうし、次から次へと難題が降りかかってきて、ママがそういうので憔悴してくると別にそこまでしなくてもいいのに、ってKaiはますますやる気が失せていく。

ドラマはそれでも何かを見つけて共にがんばっていく母娘、というよりまだ未練が残る別れた元夫との関係とか葬儀屋の男から付きあわないかって言われたりとか、アル中でしょうもなくなっていく自分の母親とか、半ばやけくそできりきり舞いしつつ自分の生を見ようと踏ん張るTurquoiseを描く女性映画になっていてよいの。 かつてMiss Juneteenthだった自分でも、これからMiss Juneteenthをつくる自分でも、親でも娘でも妻でも愛人でもない自分はどこにあるのか、を探すこと。

で、そういうのを通して、明確には語られないものの間接的にミスコンが演出する一時の栄華的ななにかへの批判にもなっている気がした。学業やキャリアへの支援はこういうお祭りではなくてみんなに対してずっとされるべきよね。

というわけなので、本来こういうお話がてっぺんに持ってくるページェントそのもの - Kaiの演し物もあんま弾けたり盛りあがったりしなくて、結果もなんとなく見えてて、そんなんでいいのか、ではあるのだが、Turquoiseが生きているし、TurquoiseとKaiがふたりでいるところも絵になってよいな、って。

かんじとしては”Support the Girls” (2018)に似ているかも。どっちもあれこれ大変だけど、どっちもみんな素敵で。


土曜日に歩いてHarrods(デパートね)まで行ってみた。 普段でも十分わかりにくいフロアの動線がOne Wayとか行き止まりの導入により更にわけわかんなくなって途方に暮れている人々がいっぱい。 本屋は地下の隅っこに移動されていて、やはり閑散としている。今こんなとこにコーヒーテーブル本を買いにくるひとなんていないよね。

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