9.17.2024

[film] The Seventh Veil (1945)

9月7日、土曜日の夕方、BFI Southbankの特集 – “Martin Scorsese Selects Hidden Gems of British Cinema” - 『マーティン・スコセッシの選ぶ英国映画の隠れた傑作たち』 で見ました。 この特集、追っているけど、やっぱりどれもおもしろいよ。ぜんぜん客は入っていなくてなんか勿体ないけど。BFIに来るような人たちはとっくに見ているやつらなのかしら?

監督はCompton Bennett、Sydney BoxとMuriel Boxによるオリジナル脚本はオスカーを受賞している。

若いピアニストFrancesca (Ann Todd)が指が動かなくなったと嘆いて橋の上から飛び降り自殺を図って一命は取り留めたものの寝たきりになって、治療に現れたDr. Larsen (Herbert Lom)が催眠療法を使って、彼女のこれまでのことを語らせようとする。

父が亡くなって親戚の偏屈な独身男Nicholas (James Mason)のところに預けられて、彼の厳しい指導のもとでピアノをがんばりRoyal Collegeに進学するところまで行って、そこで知り合った軽いアメリカ人のPeter (Hugh McDermott)と仲良くなるのだが、婚約とか言い出したところでNicholasの顔色が変わって(彼女はまだ17歳だし、と)、駆け落ち手前で彼女を強引にパリ~ヨーロッパに修行にだしてコンサート・ピアニストに仕上げて、Royal Albert Hallのリサイタルまで行く。祝福するNicholasを振りきって彼女はPeterのところに行こうとするのだが…

もうひとり、Nicholasの紹介で知り合った画家のMaxwell (Albert Lieven)とも肖像画を描いてもらって親密になるものの、ここでもNicholasが間に入ったり、いろいろぐじゃぐじゃになって、結局彼女のまわりには医師も含めて4人の男たちがそれぞれのやり方で彼女を支配しようとして、結局彼女は…

溝口の映画の女性みたいに男たちに振り回されまくるFrancescaがかわいそうなのと、結局7番目のベールってなんだったのか、とか。

あとやっぱり、最後にあの彼のとこに行くのはよくわかんないかも。 それにしてもJames Masonはすごいな、こういうふうに女性に張りついた時の粘着感の表し方とか。


Green for Danger (1946)

9月8日、日曜日の午後に見ました。
原作はみんな知っているChristianna Brandの探偵小説 - 『緑は危険』。おお昔文庫本を読んだはずだがまるごとすっかり忘れていて跡形もない。監督はSidney Gilliat。

イギリスの、まだ戦時下なので飛行機が飛んできてその音が止むと爆弾がどかーん、てなったりする田舎で、郵便配達員がそれにやられて病院に運ばれて、手術中に何が起こったのか突然亡くなってしまい、続いてそれを知っているのか知らないのかシスターが亡くなって、スコットランドヤードのコックリル警部(Alastair Sim)が呼ばれて - その前の冒頭から報告書の形式で彼が語っている – ふたつの殺人について関係者に聞きこみ捜査を開始していくとー。

最初の方の田舎の、のどかで散漫とした感じ – 結構笑いが起こる - が警部の登場で締まるかと思ったらそんなでもなく、全体としては医療現場の錯綜も含めて誰が誰やらの謎なかんじは多層多面で刻まれたり深まったりしていくばかりで、麻酔から戦争まで、いろんなやばさの危うい迷宮が交わっていくなかで突然わかったぞ! みたいに幕が閉じてしまう。 いきなり「緑は危険」って言われても「は?」ってなるのと同じような唐突感と抜け方。 あと、戦争の罪深さみたいなところが後からじわじわとやってくる。


It Always Rains on Sunday (1947)

9月8日、上のに続けて見ました。
原作はArthur La Bernの同名小説、監督はRobert Hamer。1948年の映画興行収入で上の方だったって。

イーストロンドンのBethnal Greenで専業主婦をしているRose (Googie Withers)は優しい夫と夫の連れ子の二人娘とまだガキの男の子と貧しく慌しくてもそこそこ楽しく暮らしていたのだが、刑務所からかつての恋人のTommy (John McCallum)が脱獄し逃走していることを新聞記事で知る。

日曜日なのに雨が降ったり晴れたり落ち着かない、ぐずぐずしてあまりよくない日、やっぱり.. というかんじでTommyがRoseの前に現れて匿ってほしい、と言うので彼を寝室に押しこんで鍵をかけ、家族のいなくなった隙に食べ物を差し入れて寝かせてあげたりする - 後で匂いとかで気付かれるんじゃないかしら?

そうしている間にも悪いことして帰ってきた娘を叱ったり、日曜の午後のどうでもよい些末事がちょこちょこ挟まってきてはらはらするのだが、ちょっとしたことでTommyがいることを嗅ぎつけた新聞記者が家までやってきて…

日曜日だし、最後まであの家のなかで完結する話かと思ったらそうではなく、しぶとく延々と駅の方まで逃走劇は続いてノワールの黒々した闇のなかに落ちていくスケールというか段差がよくて、それでも最後はあの家の、あの路地に戻って、そんな日曜日でした、って終わる。これが50年代英国のkitchen-sink moviesの先駆け、というのもなんかわかる。 小さな家の台所から酒場から市場から場末の駅まで、ぜんぶ繋がっている - 繋がっているその様を見渡せるように画面を置いていく、というか。

こういうかんじの雨、だとRandy Newmanの”Every Time It Rains”が浮かんでくるねえ。

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