9.25.2024

[film] Mandy (1952)

9月16日、月曜日の晩、BFI Southbankの特集”Martin Scorsese Selects Hidden Gems of British Cinema”で見ました。

監督はAlexander Mackendrickで、彼がEaling Studiosで手掛けた5本のうち、唯一のノン・コメディドラマだという。原作はHilda Lewisの小説” The Day Is Ours”。1952年のヴェネツィアでSpecial Jury Prizeを受賞している。

米国での公開タイトルは、最初”The Story of Mandy”で後に” Crash of Silence”となった。こんなによいドラマなのに日本では公開されていない?

戦後、瓦礫が残る復興期の英国で、Christine (Phyllis Calvert)とHarry (Terence Morgan)の夫婦に女の子Mandy (Mandy Miller)が生まれて, 彼女の反応の仕方みて、耳が聞こえていないのではないか、って思ったらやはりそうで、それなら外の子とは遊ばせられないし、うちに置いて育てようというHarryと彼女のような子達を集めてユニークな教育をしているDick (Jack Hawkins)の学校を見学したChristineは対立して、結局Mandyはその学校に行くことになる。

この学校はマンチェスター郊外にあるRoyal Schools for the Deafがモデルだという。

学校でもMandyは孤立したり最初は大変でかわいそうだったのだが、少しづつ周囲への反応の仕方や伝え方が外向きに変わっていって、それを見て抱きあって喜ぶChristineとDickの関係をよろしくないかも、と思った学校側がHarryに伝えると、冗談じゃないってMandyを学校から連れ戻して家に置いて…

仕事が忙しくて殆ど家にいないくせに教育方針にだけは口うるさく、よからぬことはぜんぶ妻/母親や学校のせいにしようとするどうしようもない夫 – そこらじゅうで見る - がいちいちさいてーなのだが、それ以上に泣いたり苦しんだりしつつも外の世界に少しづつ歩み寄っていくMandyの姿がすばらしいの。

ふだん映画のカット割りとか音響とかあまり意識しないで見てしまう方なのだが、この映画の耳が聞こえる/聞こえないの境い目や、その境い目がブレークする瞬間のカメラや音の動きはすごいなー、って思った。こういうことか!ってMandyにも見ている我々にも直に伝わる。ラスト、外の世界に向かって歩きだすMandyの背中をとらえたショットのすばらしいこと。


The Man in Grey (1943)

9月17日、火曜日の晩、BFI Southbankの同じ特集で見ました。

監督はLeslie Arliss。 “Gainsborough melodoramas”と呼ばれ、1943から47年にかけてメロドラマとして売られたGainsborough Picturesの作品群のうち、時代が昔のそれだとコスチュームとも絡んで、なんだか特別な時代劇のように扱われるっぽい。 昼メロのようにゲスい展開と運命にめまいしつつ、あれこれ目を離せなくなってしまうやつ。

印象に残るオープニングロゴはThomas Gainsboroughが描いたSarah Siddonsの肖像だそうな。

原作はEleanor Smithの同名小説(1941)で、アメリカではベストセラーになったという。邦題は『灰色の男』。

1943年のロンドンで軍服を着た男女(Phyllis Calvert、Stewart Granger)がオークション会場で出会う。そこではRohan estateの品々が売りに出されていて、ふたりはこれらってどういう経緯でこうなっちゃったんだろうね? とか会話しつつ、戦時の停電規制でオークションが中断してしまったのでまた会おう、って別れる。

そこから舞台は1800年代初になって、お嬢様学校にいる快活で人気者のClarissa (Phyllis Calvert)とちょっと暗めの教師のHesther (Margaret Lockwood)が出会って、ClarissaはHestherとお友達になりたい、と近づくのだが占い師はHestherの運勢を見るなりこいつはやばい… って口をつぐんで、でもそのうちHestherは駆け落ちしていなくなり、Clarissaも家に戻ると裕福だけど陰気なRohan侯爵 (James Mason)と結婚させられることになる。

そこから先は謎の男Rokeby (Stewart Granger)とHestherのこと、Rohanの家に住むことになったHestherとClarissaのあれこれ、甦る占い師の予言、その裏で売りにだされていく家の品々が、ぜんぶ理由なんてない、もうどうしようもないから運命だからー、みたいなトーンで流れていく。ものすごく歪んだRohan侯爵とHestherの一見そうは見えない邪悪さと滞留しないで束になって流れていくどろどろ。 Downton AbbeyにAri Aster的な理不尽な暗さが挟まっている、というか。

でもこれ、「灰色の男」の話なのだろうか? 確かにこいつさえいなければ、という内容ではあるけど主人公はあくまでふたりの女性のような。

James Masonの灰色というより真っ暗な暗さはこないだ見た”The Seventh Veil” (1945)に続いて凄みたっぷり。英国の貴族ってみんなあんなふうになっちゃう(or こんなふうにしてやれ、って書かれちゃう)の?

最後にふたたび時代は現代に戻って、軍服姿に転生したふたりが手を繋いで走っていくの。軍服だから殺し合いはお手のものとか。

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