6.24.2024

[art] Preraffaelliti - Rinascimento Moderno

6月21日、金曜日の晩にボローニャに飛んで、23日、日曜日の晩に戻ってきた。

はじめは6月30日に終わってしまうフォルリのMusei di San Domenico – サン・ドメニコ美術館で開催されているラファエル前派の展覧会 – “Preraffaelliti - Rinascimento Moderno”に行きたいなー で、割と最寄の町がボローニャでまだ行ったことなかったし、ボローニャならBAから直行便もあるし、それなら近くのパルマとモデナにも行ってみよう、くらいで計画を立てはじめた。こういうのの計画って、旅慣れた人々はどうやってやるのか知らんが、たぶんものすごく効率わるくあれこれ計画したり決めたりしている気がして、でもまずは展覧会見れればいいし、くらいで。

そして、出る2週間くらい前になって、ボローニャでIl Cinema Ritrovato Festival - 「ボローニャ復元映画祭」をやっているのを知る。カンヌよりもヴェネツィアよりも毎年ものすごく憧れていていつか一度は行きたいな、とずーっと思っていたやつ。もう旅程を変えるのは面倒だったし、どうやってチケット買うのかもわかんないし、さてどうしよう/どうしたい? って暫く考えて、とりあえずパスだけでも取っておこうと思って、でも€120かあー、ってやっぱり悩み、でもやっぱりパス取って、次は見たい映画の予約、と22日土曜日の晩と23日日曜日の朝以外のスケジュールは(見たら見たくなってしぬから)見ないようにして、取ろうとしたらサイトがぜんぜん繋がらないしUIひどいし、それで嫌になって2~3日過ぎてしまい、ようやくとりあえず2本だけ取る - 映画の話はまたあとで。

22日は、9:00にまず映画祭のオフィスにパスを取りにいって、分厚いカタログも貰って、これ持って展覧会行くの? ってなるが列車の時間もあるのでボローニャの駅に行ってチケットを買って待ったのに時間になっても掲示板に表示されたホームに列車が来なくて、そのうち時間が過ぎたら消えちゃったので、なんで? と駅員のひとに聞いたら、列車はもう出たと。あなたが待っていたのは東行きの4番線ホームで、これは西行きの4番線から出たのだ、ってそんなこと言われたってなんで4番線がふたつあるんだよ? って頭がおかしくなりそうで、次の電車まで30分くらい待ったり、フォルリの駅からのバスもなんとなく乗ったら(なんとなく乗るな子供か) とんでもないとこに連れていかれてTaxiないしUberもいないし、炎天下のなか40分歩くことになり、などやっぱりいろいろ起こる。

こうしてへろへろになってたどり着いた展覧会。入口に1893年のホフマンスタールと1882年のワイルドの引用があって、英語にしてほしいし、出典も書いてほしかったのだが、しょうがない。
ホフマンスタールのは「彼らは自然から芸術に向かうのではなく、その逆をいくの」という有名なのだし、ワイルドのも「ラファエルの安易な抽象表現とは対照的に、より強い想像的リアリズム、より注意深い技術的リアリズムが見いだされた」という、これもどこかで読んだような。

英国にいて展覧会に通うようになると、近代絵画の展覧会 - 具象系の – には必ずと言ってよいほどラファエル前派の作家の絵が参照軸のように並べられていたりして変なのー だったりするのだが、今回のこの展示は、君らが英国でどれだけ称えられているか知らんが、おおもとは全部こっち - イタリア - の方だから、あまり調子にのらないように、っていうのを量と力技でぶちまける、そういうのだった。既に見たことあるやつもいっぱいあったが、フィリッポ・リッピやボッティチェリやグイド・レーニとかを持ちだされたらかなわんし勝てるわけないやろー、になる反対側で、こんな(登場してきた頃はおそらく)ちょろい、アニオタみたいな奴らの絵がそんなクラシックと対照されるわけ? という - そういうのも含めて狙いはおもしろい。これと同じ企画を英国でやろうとしても難しいだろうし。

最初の大広間にルネサンスの頃の祭壇画や彫刻のでっかいのが集められていてなんだこれは? となったあたりにEdward Burne-JonesとWilliam Morris(商会)の共同制作による聖杯伝説のでっかいタペストリー(これ、個人蔵なの?) が覆い被さってきて混乱してくるあたりでJohn Ruskin先生のコーナーがきて、ではなぜイタリアなのか? について語って頂きましょう、と。

その先はDante Gabriel Rossetti 〜 John Everett Millais 〜 William Holman Hunt 〜 Edward Byrne-Jones 〜 George Frederic Wattsと画家別に流れて、William Morrisらの工芸もあって、しめにFrederic Leightonがくる。画家別とテーマ別の組み合わせもうまくて、有名なのとやや地味めだけど線と色彩が鮮やかで素敵な絵の配置、更にはルネサンスの古典たちとの対置まで、ストーリーにはめ込むのではなく、ストーリーが浮かびあがってくるような自然さ(vs. それぞれの絵に込められた構築感)も含めて、すごくよく考えられていると思った。あとはとにかく、うまく言えないけど、とっても絵を見ているかんじになった。

ただ点数が多すぎでこの後に行きたいところが積んであって、一日の体力の4/5を既に(自分ひとりで勝手に)燃やしてしまった人にとって、ややきつくて、終わってからの売店にあった展覧会カタログの、「鈍器」とか言われなくてもただ見ればわかる大荷物感が、これ買って帰らなかったら、その欠落した穴にお前自身が埋められて一生苦しむがよいのだとか脅すので、半ば目を瞑ってカタログ買って、映画祭のカタログ(既にじゅうぶん重い)と合わせると自分が何かの報いで貶められた哀れなロバになった気がしたのだがロバなのでこれらを担いで、予定ではこのままパルマに行きたかったのだが諦めてホテルに荷物を置きに戻って、その後の午後はボローニャの町中を歩いてまわった。

残りはまたあとで。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。