5月12日、日曜日の午後、Barbicanのシアターの方で見ました。
ここでは金・土・日の3日間の公演のみの最後の回、危うく見逃すところだった。シアターというよりどちらかというとライブパフォーマンスの強さとテンションがあって、長期公演できるものではないような。
制作はThéâtre de la Ville–Paris、演出はRobert Wilson - セットとライティングのデザインも彼、脚本はDarryl Pinckney、舞台上に影のようなかたちでもう一人が一瞬登場したりするが、ほぼIsabelle Huppertのひとり芝居 – なんらかのキャラクターを演じている、というより憑依した何かが彼女のなかで暴れまわっているかのような。90分、休憩なし。
会場に入ると濃い赤の緞帳が下りていてその真ん中にそんなに大きくないディスプレイがひとつ掛かっていて、その画面上では白黒のブルテリアが自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回っている動画と、字幕で“You Fool me I’m not too smart” - バカにするのもいいかげんにして – がずっとリピートされている。
映画化もたくさんされているMary Stuart - Queen of Scotsの波乱の生涯 - 生後6日で父を亡くして王位を継承し、5歳でフランスに密航して一時はフランス王妃となり3人の夫がやってきて云々 – を経て、19年間の軟禁状態の果て、処刑の前夜の独白を彼女が遺した手紙を抜粋して繋いでいくかたちで語る - というよりどこにもいない聞き手に向かって吐きだしていく。原作の戯曲は全3章、82の断片からなるが、各章立てやその構成を意識させる語りにはなっていないような。
黒のきらきらのきっちりしたドレスで首元まで固めて、顔は白塗りの口元は紅で、手を組んで動くもんですか - この状態で最初の30分くらいはものすごい勢いで言葉を並べていって止まらない。 フランス語なので左右と舞台の上に英語字幕が出るのだが、ラップの勢いでたたみかけるあまりの早口なので、(当然、そのスピードで流れていく)字幕を追うのは諦めて彼女を見ることに集中する。ただまあ、まったく動きのない – その状態を強制された - お喋りロボットを見ているようで、やはり驚嘆してしまうのは、これを彼女が一切途切れることなく平気な顔 - 無表情だけど - でこなしてしまうことだろうか。年齢を持ちだしたくはないけど、71歳だよ。
舞台が進むと彼女も前に出てきて自身の身体を確かめるようにダンスのような動きをしたりするようになるものの、どう動いても途切れることなく延々吐きだされていく喋りのトーンと速さ、強さは変わらず、刑の執行の時が近づいてくる。
Ludovico Einaudiの音楽が絶えることのない波を作って時間の流れをつくるなか、Robert Wilsonの演出は、ほぼなにも置いていない舞台とのっぺらとしたシンプルな照明を貫いてどこまでもミニマルに俳優を空っぽのマリオネットとして扱い、一切のドラマ性を排除した機械的な反復の果てに周囲への呪詛や諦めや苦悶がうにゃうにゃと四方から滲んで湧いてくる、彼のいつもので、 やや前世紀ふうではなかろうか、と思い始めた頃、唐突に爆発事故のようなとてつもない轟音が三つ鳴り響いて - うとうとしていた客たちがびくっとなる - ああ彼女は解放されたのか、と。
演出云々というよりやはりこれはIsabelle Huppertの舞台で、すごいのは彼女がこれまで映画で演じてきた - 例えば”Elle” (2016)でもなんでも - 決して屈しない女性たちの像にすんなりそのまま連なってしまうことで、終わってホールが総立ちで喝采するなか、彼女はあのいつもの笑みを浮かべて悠然としてて、女王さまああー ってひれ伏すしかないのだった。
5.22.2024
[theatre] Mary Said What She Said
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。