アート関係のを(べつに義務はないけど)あまり書いていなかったので、よかったのを中心にメモ程度で。見た順で。
Francesca Woodman and Julia Margaret Cameron: Portraits to Dream In
4月20日、National Portrait Galleryで。ヴィクトリア朝時代の肖像写真のパイオニアだったJulia Margaret Cameron(1815-79)と70年代アメリカの挑発的な写真家 - 22歳で自死した Francesca Woodman (1958-81)を並べてみる試み。
ふつうこの二人を並べると聞いただけで、えー(なんで?) になると思うのだが、例えば肖像写真において対象を正確に写し取るというより、手刷りの加工するその肌理のかんじ、その背景やストーリーも含めて作りこめる何か、宗教的だったり寓意的だったり、作品を”Dream In”しうる何かとして世間に訴えようとしていた、という点は共通しているのでは? という仮説に基づいて”Picture Making”, “Nature and Femininity”, “Models and Muses”といったテーマ別にふたりの写真を対置していっておもしろい。
彼女たちの写真って、どちらもすぐに彼女たちのだ、とすぐわかる強さがあり、それはいったい何なのかを考える手掛かりにもなるかも。もう一回行きたい。 6月にこれに関連した“Women's representation and the female gaze”というレクチャーがあるのだが、平日の昼間なのよね..
Out Shopping: The Dresses of Marion and Maud Sambourne(1880-1910)
4月21日、High Kensingtonのご近所 Leighton HouseとSambourne Houseの共催企画。どちらも個人邸宅なのでそんなに大きなものではなく、Sambourne Houseの方の展示は少しだけ。当時の貴族の御婦人たちはお買い物にどんな服と格好で出かけていたのか、とかロンドンお買い物マップ – Libertyはこの頃から既に - とか、小規模だけど楽しかった。
Expressionists: Kandinsky, Münter and The Blue Rider
4月27日、Tate Modernで見ました。わたしはこの時代のが大好物なので涎まみれになって見た。
青騎士、Kandinsky, Münter, Franz Marc, Jawlensky, Werefkin.. これらはNYのNeue Galerieでも何度も見てきて、何度見てもその形象、色彩-温度感の多彩さ、彼らがExpressしようとした何か、それらが「抽象」へと変容していく-せざるを得なかった錯誤に曲折、痛みがどれほどのものだったのか、などいくら見ても尽きない。
この展示ではGabriele Münter(の写真作品)、Marianne Werefkinといった女性アーティストへのフォーカス、シェーンベルクやゲーテを巻きこんだ総合芸術的な知覚への探求など、リアルであることと色彩、フォルムのせめぎ合い、第一次大戦前夜の社会、写真表現を経由したアートのありように対する目線などが結構意識されていて、ここまで広げるかー、など賛否あるところかもしれない。一回見ただけでどうこう言えるものでもないのでもう一回(何度でも)見るけど。なんか、うっとりするばかりなのよね。
Michelangelo: the last decades
5月10日、British Museumで見ました。
素描作品を中心にMichelangeloの晩年がどんなだったかを示す。最初の方にシスティーナ礼拝堂の誰もが知っている大作『最後の審判』(1536-41)のパーツの習作や素描があって、それが『最後の審判』のどこにどうトランスフォームしていったのかがプロジェクションされていておもしろい。
素描で描かれる対象、もりもりした男性の肉体は展示の終わりの方で枯れたキリストや建物に変わっていくのだが、本当にそんなふうに大人しく静かに枯れていったのだろうか? というのが少しだけ。だってミケランジェロだよ?
National Galleryではちょうど”The Last Caravaggio” - 並ぶけど無料 - をやっていて、ほんの少しだけど、彼の最後の方がどれだけ陰惨で暗いものだったかがわかって、比べてみるのも。
Now You See Us : Women Artists in Britain 1520–1920
5月18日、Tate Britainで見ました。ここの同じ展示エリア、ひとつ前にやっていた企画展示 - “Women in Revolt ! Art and Activism in the UK 1970-1990”の前日譚のような、追い打ちをかけるような勢いがたまらなくよい。
英国Royal Academyの共同創設者でもあるAngelica Kauffman – 丁度Royal Academy of Artでも企画展示している – から入って、Mary Delany (1700-88)なども含め具象を中心に知らない人ばかりだが、いろんな人がいておもしろい。メインのビジュアルはGwen Johnの1902年の小さな自画像で、この彼女の醒めた目がぜんぶ、というような。英国の女性の絵画史を追う、というよりも絵画のテーマ別にどれだけ彼女たちの作品が多彩かつ多様だったか、どれだけ多くのアーティストがいたか、を知ってもらうことに集中しているよう。社会史、文化史とのリンクは意図的に省いたのかも。
20世紀に入ってくるとさすがに知っている人も増えて、画学校時代のLaura Knightの習作とかすごくかっこよいし。
英国であれば、女性抽象画家の系譜、というところでもういっこ企画ができるはず、これはまたの機会、になるのかしら? (やって)
A Room of One's Own 1890-1915
19世紀末から20世紀初にいろいろ起こった変革のなか、サフラジェットをはじめ女性のありようも変わって、彼女たちのいる場所、やっていること、絵で描かれる背景等も変わってきて、その大きなひとつが「部屋」の登場ではないか、という視点に立った無料の展示。点数は20もなくサイズも小さいものばかりだが、フレームと色みと人物の落ち着きようがとてもしっくり美しく、部屋にいるかんじになる。
Edouard Vuillard, Duncan Grant, Walter Richard Sickert, Harold Gilman - ↑の展示にもあったGwen Johnは2点、こちらに掛けられた作品もすばらしくよくて。
Fragile Beauty: Photographs from the Sir Elton John and David Furnish Collection
5月19日、Victoria and Albert Museumで。思っていた以上に規模のでっかい展示で、近代 – 戦後あたりからの有名な写真 – 写真史本に出てくるようなの - はファッションからジャーナリズムまで、ほぼ網羅されているのではないか、くらい。Eltonすごいー、と思うと同時にやはり欧米白人目線となってしまうのはしかたないのか。日本のだと、Hiro (若林 康宏)の「新宿駅」 (1962)の大判 - 通勤電車のなかからこちら側を見つめる人たち、と抽象コーナーの杉本博司(いつもの)くらいか。新宿駅のあの電車に乗ってこちらを見つめていた人たちは今どこでなにを… はいつも思うこと。
“Fragile Beauty”というタイトルなので、Ryan McGinleyはもちろん、一部屋をスナップでびっちり覆っているNan Goldinもよいのだが、他の作品の圧倒的なセレブ臭というか圧がすごすぎて全体としてはFragileなとこなんてない…
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