5.08.2024

[film] C'è ancora domani (2023)

4月28日、日曜日の昼、Picturehouse Centralで見ました。
英語題は”There's Still Tomorrow”、邦題は『まだ明日がある』- 日本でも先週のイタリア映画祭で上映されたのね。

監督は主演もしている歌手で女優のPaola Cortellesiで、2023年のイタリアの映画興行収入で一位を記録した、と。 DVの描写が頻繁に出てくるのでそういうのが辛くなる人は要注意かも(という注意書きを付けてほしい)。

画面はモノクロ、第二次大戦後、アメリカのG.I.が駐留して街角に立っているローマの下町で、主婦のDelia (Paola Cortellesi)は朝起きると横で既に目覚めていた夫のIvano (Valerio Mastandrea)から有無を言わさずビンタを一発くらう、そんな一日の始まり。

他にも寝たきりで動けず、ベッドに固定されて部屋から罵詈雑言をまきちらす義父(Giorgio Colangeli)の面倒をみたり大変で、ティーンの長女Marcella (Romana Maggiora Vergano)にはそんなみっともないところを見せたくないと、彼女はやかましい猿のような弟二人と一緒の相部屋で一緒に寝てもらっている。

起きぬけのビンタだけでなく、Ivanoは何か気に食わないことがあると殴ってくるので、その兆候を確認すると子供たちを別部屋に移して扉を閉めてから黙って殴られて、その一連の動作はもうふたりのダンスのように定型の呼吸とステップになっていて、その後の謝罪も弁解もなく、何事もなかったかのように日常の動作に戻るとか、とにかくしょうもない。

長女Marcellaが近所のガキみたいにちゃらい若者と結婚することになり、自分ちより少しはお金がありそうな彼の家族を家に招いた時の一連の憤懣とじたばた – そしていまはやさしそうに見える結婚相手にもDVをしそうな兆候があることを見てしまう、とか、今はすっかり枯れて車の修理工をやっている昔の恋人からのさりげない誘いとか、井戸端会議が大好きな近所の女性たちとのあれこれとか、拾った写真を渡してあげたら感謝されてチョコをくれたりするG.I.がDeliaの顔の殴られたアザに気づいて… とか、いろんなエピソードを絡めつつ、彼女がある日に向かって決意を固めて紙をもって何かをしようとしている、その実行の時を巡ってのはらはらどきどきが…

”There's Still Tomorrow”というそのほんの少し手前、その反対側で理不尽な夫の暴力や煩わしい義父や煩い子供たちがいる日々、彼らのためにすべてを捧げなければならなくなっている日々の自分は、どこまでも底なしで終わりのない地獄としてネオレアリズモのタッチ - と言われているがどうなのか? - で描かれ、でも… というめくるめくコントラストのなかで描かれる女性たちの姿 – 特に主人公と娘の間に最後に訪れるドラマのオペラみたいな盛りあがりが楽しくて、その挫けない強さはAnna MagnaniやGiulietta Masinaがかつて演じた女性たちを思い起こさせる(及んではいないよ)のだが、なにかが足らない気がずっとしていて、なんだろうか。これで(あんなもんで)明日に向けた元気が出たりするもの?

やっぱりさー、あの夫とかしょうもないDV男どもを最後にはどうにかすべきだったのではないか – G.I.がふっ飛ばすべきだったのはあっちではなくこっちだったのでは、とか。 諸悪の根源があの辺、ってみーんなわかっていたわけでしょ? なのになんで? そしてこれだけ興行的に当たったということは、男たちも見たはずよね。- というこの辺りなんだろうな。男も女もみんなわかっているの。まだ明日がある、って。 だからまだ続いているのー。

どっちが勝った負けたとか、明日になれば、とかそういうのって、あの時代は戦争もあったしどうしようもなかったのかもしれないけど、本当は人を殴ったりひっぱたいたりするのはよくないこと - なぜなら… というところに持っていくべきではなかったのか、とか。

日本国内では映画祭なんかじゃなくて、九州地方で強制的に上映すべき。(あたったりして…)

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