5月11日、土曜日の夕方、BFI Southbankで見ました。 ふつうの新作のPreview公開。
作・監督はこれが長編デビューとなる英国のLuna Carmoon。 BFIとBBCがバックについていて、まあ、ぜーったい日本での公開はないと思う - くらいに地味で、血みどろ残虐シーンとかはまったくないものの、じんわり生理的・感覚的なところに訴えてくるなにかがあり、なので入り口には「不快感を与えるかもしれない描写があります」とか貼ってあったりするのだが、すばらしくよかったの。
80〜90年代にかけての南東ロンドンの下町で、母Cynthia (Hayley Squires)と幼い娘のMaria (Lily-Beau Leach)がショッピング・カートをがらがら転がしながら遊ぶように落ちているモノを拾ったり漁ったりしてそのまま家(自分たちのなのか不明)に戻るとそこにはゴミ屋敷のように拾ってきたりしたいろんなものが吹き溜まっていて、他の家族はいなくて、ふたりで散らかしまくったりしながらもお風呂に入ったりTVを見たり - 『ブリキの太鼓』 (1979)でのあるシーンが印象的に映し出され、それを食い入るように見つめるMaria - 母娘でおおむね仲良く楽しんでやっているのだが、ある晩、崩れてきたゴミの下敷きになったママは動けなくなり、救急車が呼ばれて命は助かったものの、Mariaはそのまま里親のところに保護されることになる。
そこから時間が過ぎて高校生くらいになったMaria (Saura Lightfoot-Leon) - 服に”1994”とある - はふつうによい子でもないが酷くわるい子でもなく、そんな状態で里親のMichelle (Samantha Spiro)のところにいて、そこにMichelleが育てた別の里子のMichael (Joseph Quinn)がやってきて同じ家のなかで暮らすようになって、ある日突然母Cynthiaの遺灰が届けられた辺りからMariaの挙動ふるまいがだんだんおかしくなっていって、お腹の大きなガールフレンドがいるMichael と変な関係になったり自分の部屋に溜めこみはじめたり…
おそらく心理学的に説明できる何かは沢山あるのだろうが、医師や警察が呼ばれるような方と事態には向かわず、Mariaが執着してしまうもの、彼女が見つめてしまうものの先にあるひとつひとつがなんとなく、でも確かな切実さと説得力でもってこちらに伝わってくる - それってなんなのだろう? - ので、監督の実体験に近いところもあるのかも、と思うのだがそこは別に知らなくても。
子供の頃にママとの間で、ママと一緒に築いていったお城 - Hoard - ある時一瞬で奪われるように消えてしまったその礎やパーツのひとつひとつは他の人から見ればゴミかも知れなくても、人によっては「トラウマ」って片付けてしまうだけかもしれないし、わかってもらおうなんてこれぽっちも思わないけど、子供の頃の秘密の大切ななにかで、他者が決して取り上げたり葬ったりすることはできないし、なにかで解消したり代替できたりするものではないし - だからあたしも含めてどこかに散らして放っておいて。
大人になることをやめた『ブリキの太鼓』 のOskarと、すべてを捨てて大人にならざるを得なかったMariaと。そして彼女はもう一度拾いなおそうとする - なんのために?(は問わない)
Mariaを演じたSaura Lightfoot-Leonを始め、俳優のアンサンブルもすばらしくよくて、みんなそこにいて暮らしているかんじがした。最近の日本の映画で描かれる貧困家庭とかにはなんでか余りのれないのだが、この作品のはとてもわかるかんじがした。
ラストの夜の町にEBTGの”Missing”が流れてきて、それが泣いてしまうくらいによくて、泣いてしまった。
5.18.2024
[film] Hoard (2023)
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