14日の土曜日、"Guest"が終わってイメージフォーラムの階段を駆けあがり、そのまま上の階の部屋で見ました。
『愛の残像』。 英語題は"Frontier of the Dawn"。
ストーリーはシンプルで、カメラマンのFrançois (Louis Garrel)が撮影で女優のCarole(Laura Smet)と出会ってふたりは恋に落ちて親密になるのだが、彼女には滅多にやってこない夫がいて、そういうのが嫌になって彼は彼女から離れてしまい、彼女は辛くなって精神病院に入って、退院するのだがそこで服毒自殺してしまう。 彼は彼女から別れたあと、別の女性と付き合いはじめて、子供ができたので結婚することにしたのだが、鏡の向こうにCaroleが出てくるようになって、こっちに来て、という。 ずっと一緒にいるっていったじゃん、と。
出てきたのはCaroleの幽霊なのか、罪悪感を感じているFrançoisの無意識なのか、それは割とどうでもよいことで、映画は生前よりも遥かに生々しく、力強く鏡の向こうに現れるCaroleの姿を描き、やがて結婚式の朝、Caroleのところに旅立ったFrançoisを描いて終わる。
そこには不思議も謎も狂気も呪いもなにもない。 何かを隔てて向こう側とこちら側に置かれた恋人たちが再び一緒になる、それだけの。
それは、闇と光がせめぎあう夜明けの時間、その突端でいつも起こっていること。
Garrelの映画では、(たとえ永遠に失われたものであっても)いつもふたりが一緒にいる、一緒につるんで画面のなかに映りこんでいることが大きな意味を持っていて、このふたりだけの白と黒の時間を創りだすことが、彼にとっての映画であり、そうやって創りだされた時間はCaroleの言うようにずっと「あなたの夢に隠れている」ことになるの。
怪談でもなく、光に溢れているわけでもないのだが、夏の映画だった。
明るい話ではないのに、何故かとても力強い。
Louis Garrelが見事なのはいつものこと(いつもPhilippe Garrelの分身とか言われててかわいそうかもしれないが、でもあれほどのどよーんとした分身感を出せるひともいない)だが、この作品についてはLaura Smetがなんといってもとんでもない。
彼女が板の間にごろんと転がって「会いたいー」とか悶々しているところのぬめーっとしたかんじとか。 Femme Fataleとかいうよりも、彼女のなまえのついた動物のようなかんじ。
William Lubtchanskyのカメラがすばらしいのと、その画面を切り裂くように鳴り渡るDidier Lockwoodのヴァイオリンもまた。
7.19.2012
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