6日、金曜日の夕方にさっと抜けて、ぜいぜい言いながら逃げまくって吉祥寺に行って、見ました。
イメージ・フォーラムでの公開時には見逃してて、でもどうせこれは爆音でやるじゃろ、と思ってたらほんとにやってくれた。
すごくおもしろい。
2010年の末にLincoln Centerで『早春』(1970)の上映があったとき、監督が来て挨拶して、"Essential Killing" が今のとこ自分のベストだ、『早春』はセカンドベストだ、って言ってて、それがよくわかる。
男が必死になって逃げているだけの映画。
なんで彼が逃げているのか、なんで彼は追われているのか、バックグラウンドはなにもわからないし、男はほとんどしゃべらない。
ただ、そのしゃべらない、ということと必死の形相から状況はやばくて、そこにヘリがばりばり飛んでくるともう、相当これはひどいんだろう、って。
たまに男の故郷なのか、夢のなかなのか、桃源郷みたいなシーンが出てくる。
でも今はそうじゃないんだ、と。
あの場所には還れないのだ、ということか、あの場所を目指せ、ということか。
崖つきの砂漠で軍みたいなとこに捕まって、施設に収容されて、移送中に事故があったのでその隙に抜けだして、今度は雪原で、飢えと寒さで死にそうになったとこで、一瞬匿われて、そこから再び外に出ていく。
「逃亡」と「殺し」とその裏側にある「生きる」ということ、それらひとつひとつのアクションの、究極の型、のようなものが抽象的な、超越的な目線を一切排したかたちで映しだされている。
過激でも残酷でも陰惨でもない。
ずっと過酷でぎちぎちしていたトーンが屋根のあるところに匿われ、傷と血を拭われたことで少しだけ弛んで、流れが少しだけ変わる。
「xxから逃げる」だったのが「xxへ向かう」ようなトーンに、男の表情も含めて微妙に、わずかに。
キリストの受難の旅みたいなかんじもする。白い馬だし。 ガレルの『内なる傷痕』(1970)をちょっとだけ思い出したりもする。
で、最後までいくと、Essentialな殺し、って彼が実行するものなのか、彼に対してなされるものなのか、とかね。
それにしても、あの母乳のシーンはすごいよねえ。
どんな「殺し」よりも、こっちのが強烈だったりする。
7.14.2012
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