3月22日、日曜日の午後、グローブ座にあるSam Wanamaker Playhouseで見ました。
船荷出し&引越し2日前、最後から2番目の日曜日、こんなとき、日曜の昼間にやってくれるマチネは大変貴重でありがたいったらない。
原作(1611–1612)はShakespeare、翻案、演出、主演はTim Crouch。
シアターに入ると、役者たちは既に床に寝転がったり、座ってぼーっと宙を眺めていたり、後でCaliban (Faizal Abdullah)であることがわかる彼なんか、蝋燭ひとつひとつに地味に火を灯したりしている(このシアターの照明はぜんぶ蝋燭なので準備がいる)のでシアターの裏方の人だと思っていた。
そんなふうに開場した時から始まっているので劇が始まる前の舞台の写真を撮ることは禁止で、始まってしばらくして、劇の途中でスマホで撮影していた客をProsperoが注意したので、客席側がはっ、となったら実はその人は役者 – Antonia (Amanda Hadingue)で、あとからステージに乗りこんできてこの劇おもしろくないよ、って文句を言ったりする。他にも客席の上のほうから鼻歌が、と思ったらそれが幻惑するコーラス組になったり、スマホ撮影禁止の立札を持って一番前で立っていたのがFerdinando (Joshua Griffin)だったり、特にナポリの連中はProsperoの島に客席のあらゆるところから勝手に現れたり戻ったりしてて楽しく、彼らは休憩時間もそのまま客席にいたり。
舞台は蝋燭の灯だけで浮かびあがる暗くて狭い船室のようで、壁には博物館のように過剰な装飾と陳列品がみっしり、床にも散乱するいろんなガラクタが転がっていて、Prosperoの船は壁に取り付けられてくるくる回転する模型で、ゴミ屋敷手前のような投げやりな散らかりようを見ると、Prospero (Tim Crouch)は復讐に燃える大公というよりとうに萎れた隠者のようで、彼の傍にいる娘のMiranda (Sophie Steer)も妖精のAriel (Naomi Wirthner)もとてもおとなしくて、異界からも魔法からも遠い、枯れたお茶の間の住人のようにしか見えない。
そういうとっ散らかった状態で、召使のTrinculo (Mercè Ribot)とStephano (Patricia Rodriguez)は語学学校の生徒で周囲と話が通じなくてずっこけてばかりだし、サッカーチームのTシャツを着たCalibanはマレー系シンガポール人の母国語で会話をしてきたり、ポスト・コロニアルというか、ま、そうなんだろうな、っていうかたちでいろいろな面倒とか地ならしが次から次へとせわしない。
原作を読んだり、原作に忠実な他の芝居を見た時に感じられるグランド・ロマン的な何か、がオタクが籠る部屋のような小宇宙へと変わって、それなりの小爆発を見せる - 巨視的な世界観と目の前のみみっちい作為や小芝居的な動き、魔法の力と投げやりでなるようにしかならん、みたいな諦念が交錯して、運命の力、囚われと赦し、のような原作のテーマはどこかに行ってしまったかのように見えるのだが、これはこれでありなのかも、って思えてしまう居座りのパワーというか。
だってそうなんだもの、という諦めたような老人の呟きの外で吹きまくる大嵐(Tempest)、いろんなノイズ、という対比がくっきりと示されて、これはこれでひとつの世界、ひとつの船の行方を追っていて、よいと思った。というかこれもまたShakespeareの広げた風呂敷のうちなんだろうなー、と。
ただ、お片付け&荷物出しの前に見るべき芝居ではなかったかも。
4.07.2026
[theatre] The Tempest
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