4月18日、土曜日の午前、ヒューマントラストシネマ渋谷で見ました。
ドイツ映画で、原題は”In die Sonne Schauen” - 直訳すると「太陽を見つめて」なのだが、邦題は英語題の方に繋がる『落下音』。
2月にロンドンで上映されていた時に見たかったのだが、2時間半の上映時間が無理だった1本。
監督と共同脚本はMascha Schilinski。2025年のカンヌでJury Prizeを受賞している。
なんのキャプションも出ないので、最初はちょっと混乱するが、ドイツ北東部の中庭を囲む建物に暮らす一家一族の、4つの時代 - 1910年代、1940年代、1980年代、現代 - に分かれたいろんなエピソードがノンリニアで交錯していく。語り手も時代によって、エピソードによって分かれているし、映像のトーンや明度も、誰が誰を、どの地点から見つめているかによって結構ばらけていて、構成とか成りたちを把握するのにちょっと時間がかかる。他方で、そういうのを気にせずイメージをてきとーに追っていっても、なんとなくのゆらゆらした不安や怖れなどはわかったかんじになれるのかも。
冒頭、片足がない状態で松葉杖で歩くErika (Lea Drinda)が、そのままベッドでぐったり寝ている中年男のFritz(Martin Rother)の切断された片足をじっと見つめておへそに溜まった汗をなめ、その後で彼女の欠けた脚は自分で折り曲げていただけだったことがわかる。
別の時代で幼いAlma (Hanna Heckt)が経験する葬儀と昔の葬儀の写真に刻まれた一族のなかに自分に似た少女の姿を見つける話、Fritz (Filip Schnack)が両親によって片足を痛めつけられ「労災」(=兵役拒否)される話、彼を介護するメイドのTrudi (Luzia Oppermann)の話、家族の間には目に見えない掟や序列や勝手に強引に決められてしまうものがあるようだが、死んだあとはモノクロぺったんこのイメージのなかに閉じこめられてしまうことなど。
時代が新しくなったところで、溺死したErikaの妹のIrm (Claudia Geisler-Bading)には家族がいて、彼女の娘のAngelika (Lena Urzendowsky)はいとこのRainer (Florian Geißelmann)を挑発したり、トラクターの進路に横たわったり川に入っていったり死を恐れていないふうで、そのうち家族が集合したポラロイドを撮る場面で彼女は消えてしまう - 向こう側へいってしまったのか?
更にほぼ現代になった頃の姉妹と村の少女のお話しがあり、ここでも誰かは必ず家族の誰かを失って不安定なままで、でもそれがどうした、って。
家族がメガネを手にした時の会話で、目に映ってくる像、光は網膜の上で上下左右が倒立した像として結ばれて、あるポイントで消失点として失われてしまう、そんな視覚イメージの危うさと不確かさが語られて、そういう中で部屋の暗がり、半開きになった扉から覗きこむようなショット、既にいない人を定着させる写真などが沢山でてきて、これらは生死が倒立した死者の目線なのだ、と言うことに気づく。そんなでも人はころりと死んで生まれて家族もイエも続いていくし、戦争は起こるし。
イメージや視覚に関わること、なのでタイトルが「太陽を見つめて」なのだろうが、それが”Sound of Falling” – 「落下音」になるってどういうことなのか。太陽を見つめて目がしんで、落ちる – 五感に残るのはその音だけ、ということでよいの?
幽霊目線の、あるいは幽霊そのもののような個々のイメージは、切り取ってスタンダードの画面に置いてみれば悪くないのだが、ストーリーの軸がないので、それぞれの印象の強弱のようなところで止まってしまう(よくもわるくも)のと、音が弱すぎてふわふわしてて落下できない、というあたりがー。
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