4.23.2026

[theatre] 死神

4月16日、木曜日の夕方、紀伊國屋サザンシアターで見ました。

ロンドンで演劇っておもしろいかも、と思うようになり、勉強したいかも、って2年3ヶ月の滞在中に178本見た(映画の方は877本見ていた)。せっかく火がついた、と思っているので、日本でも見ようと思ってまずはこのあたりから。

オンラインでチケットを取ろうとしたところ公演は平日のマチネが多くて、夕方回の開始時間が18:00って.. でひいて、前売りで取るのは難しいか、って電話して当日券があることを確認してシアターで取ったのだが、後ろのほうはがらがらで、なんか勿体ないな、と思った。ライブもそうだけど、開始時間がこれだと(ずっとそうみたいだけど)会社勤めの人とかには根付いていかないよね。(接待とかには向いているのか?)

原作は三遊亭圓朝の古典落語「死神」。元ネタは19世紀のグリム童話とイタリアの歌劇で、どん底の主人公のやけくその行動が地べたから有頂天まで、生と死の境を跨いでいくジェットコースター芝居で、一人語りの落語としておもしろいのは言うまでもないが、演劇にしたっておもしろいに決まっている。 脚色・演出は倉持裕。

最初は通りからみた長屋の並びで、主人公たちが戸を引いて中に入るところで奥が自動でぐるっと広がったり回ったりする。長屋から地獄の入り口まで繋がっていて、語りの調子に応じて自在に滑らかに伸びたり縮んだり。

遊び人の八五郎(牧島 輝)はその日も遊んで朝帰りで、玄関で待ち伏せしていた妻のお滝(樋口日奈)といつものように口論になって、こんな状態じゃ子供も家庭もあったもんじゃないし、ってグチられて隣の子沢山の夫婦まで出てきてわーわー言うので嫌になってもう死のう、って橋のほうに歩いていくと死神(水野美紀)にぶつかって、自分のノルマ達成でうんざりの死神は死にたいって言いながら死ねない八五郎を使ってうまいことやってみるか?って持ちかける。

病に臥せった病人の枕元に死神がいたらその人はもう助からない、足元にいたら助かる見込みがある、死神を自分の目で見ることができる八五郎を使って、助かる見込みのある病人を生き返らせることができれば、死神にとってはノルマを着実にこなせるし、八五郎を医者にしちゃえば評判の名医にできるからwin-winじゃん、て、生き返らせる呪文を教えてシャバに放つ。

こうして長屋で(ニセ)医者の表札を出しておくと旦那様が病から回復してくれないという越前屋の番頭が現れて、藁にもすがる思いで、っていうので、現場に行ってみると死神が足下にいたので決めた通りにやってみたらいきなり立ちあがってウナギを食べ始めたのでおおってなり、八五郎は名医としてたちまち評判になって小金持ちになる。

でももともとの浪費好き博打好きは治らず、あっというまにすってんてんに転がり戻ってやばい、ところに再び臥せった大旦那の件が来て、でも今回ばかりは死神が枕元にいるのでどうすることもできず、でもそこをなんとか、って大金を積まれたので、ちょっと企んで死神をだましてやったらうまく生き返らせることができたのだが、あたまに来た死神が…

途中に落語家の立川志の春(複数の役も演じる)がそこまでの成りゆきを落語調でサマリーしてくれたり、歌謡曲ふうの歌唱シーンが入ったり、全体にちゃきちゃきよいテンポで楽しくわかりやすく、八五郎の転落とそれを操る死神の柔い関係を追っていく。

八五郎はもちろん、死神も万能な神というよりそれなりに苦労しているふつうの女性ぽくて、そんなふたりの軽いやり取りが生死や人の運命を軽々と操っていって、最後には自分自身が、という転換、脆い境界線にいるというおもしろさ。落語のぷつん、と切れて放り出されるオチのあっけなさもよいが、アンサンブルの果てに自分が誰それだったら..? がじんわりと来るこの劇も悪くない。

生が死神の座り位置とか蠟燭の灯で簡単にぽん、て消えてくれたりするのに、日々実際に生きて転がっていくのはなんでこんなにうまくいってくれないのかー、っていうあたりが後から。

最後の蝋燭のシーン、グローブ座のSam Wanamaker Playhouse(蝋燭シアター)でやったら臨場感が出ておもしろくなっただろうにー。

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