11月1日、土曜日のマチネをHempstead Theatreで見ました。
原作はRichard Greenberg、2013年にBroadwayで初演された舞台が長い時間をかけてようやくロンドンに来た。ものすごくローカルくさい – NYのアッパーウェストに暮らす裕福なユダヤ人家族のお話しがなんで10年以上かけてロンドンの、West Endじゃないところで上演されるのか、わかんないけどおもしろそうだったので。演出はBlanche McIntyre。
舞台上には大きなソファ、背後に大きなクリスマスツリー、大きなダイニングテーブルなど、見ただけで家族親族のクリスマスの集いを待っているセット。ユダヤ人家族だけどクリスマスを祝おうとしている、そういう家庭の。
1980年の暮れ。そこのアパートのJulie (JenniferWestfeldt)が慌しくパーティの準備 - 鵞鳥とか - を進めているところに、みんなの期待の星、長男Scotty (Alexander Marks)のハーバードの友人Jeff (Sam Marks)が現れて、どちらかというと外から来たJeffの目で幸せそうな – でもよく見ていくとやっぱり解れたり壊れたりしている家族の面々とその関係を見ていくことになる。Julieの夫は裕福なBen (Daniel Abelson)で、Benの妹のFaye (Tracy-Ann Oberman)と、彼女の夫Mort (David Kennedy)と不機嫌そうなティーンの娘Shelley (Julia Kass)も現れて騒がしくなっていく。大学を卒業したばかりのScottyは見るからに疲れてあれこれどうでもよいかんじになっていて、小さい弟のTimmyはインフルエンザでみんなのところに行けないのでぐずっている。
ここまでで、不穏な関係とか誰かの邪悪な企てが明らかにされたり、誰かが誰かの追及の的になったり、関係の綻びが前面に出るようなことはなく、会話はどこにでもある普通の家庭の(部屋が多すぎて迷うんだけど、とかは除いて)レーガンの時代の(良くも悪くも)朗らか穏やかな家庭内の会話劇が展開されていって、そこにはなんの違和感もなくて、ふつうに楽しく流れていく。
休憩を挟んだ後半は、2000年、ここから20年後の同じアパートのクリスマスになる。
成功した弁護士になったJeffがやってきて、病気で弱っているJulieとの会話からBenもScottyも亡くなっていて、やがて現れたFayeからはMortも亡くなっていることを知る。 小さかったTimmyはTim(Scottyを演じていたAlexander Marksが二役)になって、大学を中退してレストランで働いていて生活は厳しそう。 時の流れを経て世間的には凋落した、と言うのかも知れないがそういうトーンのお話しではなくて、FayeとJulieの会話は変わらずに(変わっていないことがわかる温度感で)楽しく(伝わっていようがいまいが)転がっていくし、電話を通して意地悪してくるShelleyですらいかにも、だし。
20年間で変わったこと、失われてしまったものにフォーカスするというより、変わらずに or 変わっちゃったけどそこにあるものってなんだろうね? をぶつかったり確かめたりしあいながらassembleしていく、撚りあわせていく、そんなアプローチで、この先どうなっちゃうんだろう?… の閉塞感はあまりなくて、そうだよね、やっぱりそこに行くよね、が待っている。毎年のクリスマスがBing Crosbyの歌と共にそういうとこに落ち着くのと同じように。アンサンブル・ドラマとして、設定も含めてよくできている、というかこれしかないでしょ? みたいな出しかた。でも絆を確かめにいく系のくさいやつでもないの。
20年間の変化を示すのに、例えば長髪だったJeffの髪は短くなっていて、80年代の方のJeffはカツラを被っていたのか - でもあの髪型だと80年代は違和感ないな、って変なとこに感心したり。
あと、アッパーウェストのアパートの、パークアベニュー沿いのそれとはまた異なるクラシックな堅さというかどっしり根を張っているかんじ、がもたらす「ホーム」のありよう。Scottyが出たがっていたのも、Jeffがあんなふうに戻ってきてしまうのもわかるの。
11.10.2025
[theatre] The Assembled Parties
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