11月21日、金曜日に会社を休んでパリ日帰りをやってきました。
前回日帰りしたのは6月で、次は1泊で行きたい(ああ1週間いられたら)と言っていたはずなのだが、1泊するとなるとホテルとか荷物とか、考えなければいけないこともいろいろ出てきて、面倒だし結局いいや… って日帰りになる。
日帰りのリスクは、なんといってもユーロスターが動かなくなって、その影響で一日の予定がずるっと後ろに倒れることで、これで前回もやられて、でも当日駅まで行ってみないことにはわからないのがきつい。で、行きたいのか行きたくないのかどうするんだ? っていうとやっぱり行くのね。日帰りならいつも下げている袋に頭痛薬とスマホのチャージャーとクッキー(食べてる時間ないので)を詰めるくらいで出れる。最近ちょっと悩ましいのはカメラ兼こういう文を入力している端末のiPhoneが酷使しすぎてきたせいか鈍くなってきたことなの。
Gerhard Richter @ Fondation Louis Vuitton
これのある森に向かうまでの道が朝11:00くらいなのにとにかく凍える寒さだった。
Richterは、これまでドイツでも竹橋でもNYでもロンドンでも、いろんなのを見てきたが、現時点での最大規模のレトロスペクティヴとのこと。展示点数は270点、竹橋での展示が110点だったので、軽く倍以上で、それでも軽く「全体」は網羅しきれていない。
いちおう年代順、テーマ別という括りはあるようなのだが、風景画、ポートレート、ほぼ写真、抽象画、抽象画の抽象画、デッサン、オブジェ、題材としても家族、ニュース(Baader-Meinhof paintings)、歴史、動物、音(John Cage)、見る/見えること、など、表象芸術のあつかうすべてのもの、それらが表象として立ちあがるあらゆる局面を捕らえようとしているようで、そしてそれらが立ちあがってこれだけの物量でどかどか並べられていると、ひとりの画家の絵画展というより集合知のような何かが埋まったり詰まったりのでっかい遺跡とか構造物のようなもの - 彼はまだ死んでいないけど - の内部を巡っているような感覚になる。
階段をあがっていった最後の部屋にユベルマンの『イメージ、それでもなお アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』の、あの4枚と灰色の鏡 - greyed mirrorsがあって、まだ描けるものと描きえないものとの間の果てのない闘いは続いているのだ、と思った。
Luc Delahaye - Le bruit du monde @ Jeu de Paume
“The Echo of the World” – そしていまのリアル世界はこんなふうなのだ、とRichterの後に見ると迫ってくるものはある。マグナムに所属して戦場のフォトジャーナリズムにいた時期以降の作品らしいが、それでも十分に痛ましくて辛い。
本当はここでやっている映画 - Luis García Berlangaの特集も見たかったのだが、まあ無理。
Gabrielle Hébert - Amour fou at the Villa Medici @ Muséed'Orsay
Gabrielle Hébert (1853-1934)は夫で画家のErnest Hébert (1817-1908)を支えつつ、Villa Mediciで独学で写真を学んで日常のいろんなスナップなど(風景から女性のヌード等まで)いろいろ撮って日記と共に遺していて、それらを纏めて彼女が暮らしていた部屋のように展示している。夫やSarah Bernhardtの寛いだポートレートが素敵。
John Singer Sargent - Éblouir Paris @ Musée d'Orsay
Sargentは、こないだのTate Britainでの“Sargent and Fashion”もまだ記憶に新しいが、今度のは「幻惑のパリ」。Sargentはなんでも、どんな角度からでもネタにできて、並べれば並べるほど、絵を見たなーってかんじになれてしまうお得なー。
METとの共同企画で、フランスでのSargentの単独展はこれが初めて(ほんと?)だそう。
1874年、18歳でパリに渡って画家として修業をして、“Madame X” (1883-1884)が問題になった後、ロンドンに向かう1880年代半ばまでの作品が網羅されていて、“Madame X”の習作数点がおもしろいのと、ボストンから”The Daughters of Edward Darley Boit” (1882)が来ていた。あのでっかい花瓶と、その間にいる子供たちのなんとも言えない不気味さ - “The Shining”のような。
Bridget Riley - Point de depart @ Musée d'Orsay
Bridget Rileyの線描と彼女のスタイルを大きく変える「Point de depart - 出発点」となったGeorges Seuratの点描を並べてみると、彼女の絵を見るときと同じような視界の揺らぎが波動でやってきて、そうだったのかー、になる。
いま、National Galleryでやっている企画展“Radical Harmony - Helene Kröller-Müller's Neo-Impressionists”もすごくよくて、わーきれいー、なだけではない点描画の幅と可能性を見ることができるの。
Jacques-Louis David @ Musée du Louvre
オルセーからルーブルに移動する。ルーブルは盗難事件もあったし(←関係ないだろ)、今回は行かなくてもよいかな、だったのだが、この企画展をやっているのならしょうがない、と。
Jacques-Louis David (1748-1825)のでっかい作品たちはルーブルに行くと嫌でも目に入って、でもあまりちゃんと見たことなかったかも、というころで没後200年を機としたたぶんここでしかできない規模の回顧展。でっかくて移動できない作品 - “The Coronation of Napoleon” (1807)などは、無理して移動しないで、ここですよ!の白い幟が立っている。
彼の使う紅~薄い赤の折り重なったようなコントラストと描き方が好きで、そこだけ見れれば、くらいだったのだが、ナポレオンのお抱えで、革命の猛々しさを自然主義や古典のなかに織り込んで炸裂させる強烈なプロパガンダ画家であったことが見えてきて、こうやって通して見るのって大事だなあ、って改めて思った。Richterを見てこれを見ると、アートと政治がどれだけ切り離せない形の表現としてあるのか/あったのか、浸みるようにわかるよ。
METからやってきた“The Death of Socrates”(1787)、ベルギーから来た数バージョンある“The Death of Marat”(1793)の腕と血の生々しさ。有名な“Madame Récamier”(1800)に始まる女性像の、おなじ画家とは思えない豊かさ、多様さとか。
Rêveries de pierres : Poésie et minéraux de Roger Caillois @ L'École des Arts Joailliers
3年前に再版されて一部の熱狂をよんだRoger Cailloisの『石が書く』でも紹介されていたカイヨワの石たちの展示。時間指定だけど無料(石だし)で、チケットを取って行ったが、時間は関係なくすぐ入れてくれた。
そこらの自然史博物館に展示されている宝石の類よりは、もうちょっと鉱物っぽく、そこらに転がっている石のようで、でもその表面や断面や形象が放つオーラだか磁力だかは眺めれば眺めるほどサイケにきそうな危険なやつで、いくらでも見ていられるし、昔の人はこれを見て何を思ったのか、とか想像がいくらでも転がっていって止まらない。 こういう石ころ、貝殻とか葉っぱとかきのことかも含め、これらに対する驚き(に対する目線)が自然科学と人文科学の起点だと思っていて、この感覚は忘れてはいけないなー、って。
あ、日本の石コーナーもあったよ。
ルーブルを出てからここに来るまでのバスがぜんぜん来ないので地下鉄にして、戻りもバスを待ったのだがやはりぜんぜん来なくて、寒いからバスにしたい → けどぜんぜん来ない → しかたなく歩く、を繰り返す、移動に関しては時間を無駄にした非常に効率のよくない一日だった。そしてここからパリ装飾美術館に行ってみたら、アール・デコ100年の展示もPaul Poiretもぜんぶ売り切れていて、今回はここまでで諦めておわる。
Cinémathèque françaiseのOrson Wells展も見れなかったし、もう一日行かないとだめかも... だからやっぱり一泊にー。
そういえばフランスからイギリスへの乳製品持ちこみ禁の件は… (略)。
11.26.2025
[log] Paris - Nov.21 2025
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