11月14日、金曜日の晩、BFI IMAXで見ました。
監督はEdgar Wright、原作はStephen King(Richard Bachman名義)の近未来SF小説(1982)。1987年にもPaul Michael Glaser監督、Arnold Schwarzenegger主演で映画化がされている(未見)。
Ben Richards (Glen Powell)は病気の子供を抱えた状態で無職になって、妻Sheila (Jayme Lawson) にホステスのようなことをやって貰って暮らすしかなくて、絶望してネットワークTVの人気リアリティ番組 – “The Running Man”に応募してしまう。プロの殺し屋(本当に殺すよ)たちから30日間逃げ続けることができたら10億ドル貰える、というので、サインしたらいろいろ話がちがう、があったりしたものの逃げることができないまま番組が始まって、最初は3人いた候補のうち2人は簡単に消されて、ものすごく悪い奴 - ほぼ凶悪犯 - としてターゲットにされて追われる身となる。
番組のプロデューサーのDan Killian (Josh Brolin)も大人気TVホストのBobby T Thompson (Colman Domingo)もまるで漫画のキャラクターで、ディストピアでのリアリティ・ショウの怖さ、とかよりヤクザに借金をして妻子を人質に取られて逃げ回る構図とそんなに変わらない気もするのだが、ポイントはどこにも逃げようがない状態のなか逃げまわって、本人は必死なのにそれがお茶の間のエンターテインメントになってしまう、という徒労感と辛さだろうか。
変装してNYに行って、そこからボストンに逃げて、追ってきたハンターたちをビルごとぶっ飛ばしたら、彼は多くの警備隊を皆殺しにした極悪テロリストの扱いにされて、いやそうじゃないんだ、というTV局側の手口の非道について収録ビデオで伝えても、TV側が放映時にフェイクの映像に差し替えてしまう。そんなふうにフェイクに置き換えられるんだったら局側はなんだってできちゃうし、賞金渡さずに闇に葬っちゃうとこだってできるだろうし、「リアリティ」もくそもないじゃん、と思うのだが、それこそが監視社会のやること - ストーリー作りなんだろうな、となる。ぜんぶがこの調子の仕込まれたどん詰まり感のなか動いていくのでしんどい – なにがしんどいかって、まさに今の監視社会とメディアがやろうとしている囲い込みのお祭りを直に思い起こさせてくれるから。
というジャンクで重い空気を吹っ切るかのように走り抜けていくGlen Powellのアクション(といかにもEdgar Wrightぽいつんのめって転がっていく勢い)はちょっとじたばたして重いけど、痛快なところもそんなにないけど、悪くはないし、彼を助けたり匿ったりする反体制のグループも出てきたりするのだが、全体としては今あんまり見たくないものを横並びで見せられているかんじがどうしても。もちろん、これはホラーなのだから、って言われたら黙るしかない。
80年代にこれを見ても、近未来は大変そうだなあ、で終わっちゃうのかもだが、いまこれを見ても思い当るところがありすぎて、それがきつい。いまのアメリカや日本の政府(とメディア&マス)が向かっている方向とわかりやす過ぎるくらいに同期している。 だからすごい! と言うひともいるのだろうが、わかっているけどさ… のしんどさが先にくるというか。
昨晩、”One Battle After Another” (2025)の2回目をBFI IMAXで見て、監督のPaul Thomas AndersonとLeonardo DiCaprioのイントロが付いていて、これも体制側に追われて追い詰められていくお話しなんだけど、いま欲しいのはこの、こっちの軽さなんだよねー、と。
11.19.2025
[film] The Running Man (2025)
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