11.17.2025

[film] Laura Mulvey

BFI Southbankの11月の特集に”Laura Mulvey: Thinking Through Film”というのがあって、恥ずかしながらこの人のことは知らなかったので、勉強してみようと思って見ている。

彼女の論文 - “Visual Pleasure and Narrative Cinema” - 『視覚的快楽と物語映画』(1975) - 翻訳はフィルムアート社の『新映画理論集成① 歴史/人種/ジェンダー』(1998)所収 - の出版50周年 + これ以降の膨大な著作等、を讃えて彼女にBFI Fellowshipの称号が与えられ、今回の特集では彼女が共同制作した8作品を上映したり、シンポジウムが開かれたり、上映前のトークにも頻繁に顔を出して、12月には彼女がセレクトしたクラシックの特集も組まれている。

Laura Mulvey in Conversation

11月4日、火曜日の晩、BFI Fellowshipの受賞記念を兼ねた彼女の業績紹介と本人によるスピーチがあった。

BFI Fellowshipというのはフィルム・TVの世界で多大な貢献を認められた個人に贈られる最高の位で俳優とか監督とか、彼女の直前にこれを受賞したのはTom Cruiseだったりするので、素朴な「?」が浮かんだりするものの、過去の受賞者のリスト(Wikiにある)を見てもなかなかすごい賞であることはわかる。

スピーチの前に彼女を讃える関係者のビデオが流れたのだが、最初がTodd Haynesだし、Joanna Hoggは客席にいたようだし、以降、日々自分がBFIに通って映画を見ていく時にお世話になっている(とこちらが勝手に思っている)プログラマーやキュレーターの人たちがほぼ全員登場して、彼女の論文や映画の見方にいかに影響を受けたかを感謝をこめて語っていくので、つまり自分が映画を見る際の軸にもたぶん相当影響しているのだろうな、と壇上の小さく丸っこいおばあさんを見て思った。

こんにちの我々がクラシックを含むいろんな映画を見るにあたって、その制作物を構成する視覚的な物語が提供する快楽やカタルシスが主にいかに白人男性(The male gaze)のそれに資するものとなるべくいろんなシステム込みで組みあげられてきたのか、これって今や映画だけではなくてTVでも広告でも、基盤とか常識に近いところで根をはっていることだと思っているのだが、これを50年前に提起したのが先に挙げた彼女の論文であった、と。

映画なんて理屈ぬきでおもしろけりゃいいじゃん、とか、これで泣けないなんて人間じゃない、とかいう宣伝も込みの「理屈」がいかに傲慢な思いあがりに基づく乱暴なものか、はずっと感じていて、それを確かめるため、くらいの意識で見ていくとすんなりはまったり思い当ったりするところがいっぱいあって、この理屈って文化全般に渡って蔓延してきたなにかで、自分がメジャーではないマイナーな何かを追っていくその根にあるものにも繋がるのだが、そういうところを踏みしめながら見ていきたい。

Riddles of the Sphinx (1977)

11月4日の晩、↑のセレモニーが終わったあとに同じ会場(NFT1)で見ました。16ミリフィルムでの上映。
Laura MulveyとPeter Wollenによる2本目の共同監督作品で、実験映画の範疇にカテゴライズされるのだろうが、あまりそういう堅苦しさ、込み入った構築された難解さは感じされなくて、映っているものをするする見れる(その分、あまり残らなかったり..)。

いくつかのパートに別れていて、Laura Mulvey自身がカメラに向かってオイディプスとスフィンクスの神話を語るシーン、主人公の女性が暮らす家庭生活のいろんな局面を映しだしたり。 後者は定点に置かれたカメラがゆっくり回転していったり戻ったり、その動きはChantal Akermanの”La chambre” (1972) のぐるーん、を思い起こさせる。

ずっとぴろぴろ鳴り続けて頭に張りつく電子音楽はSoft MachineのMike Ratledgeによるものだった。

Crystal Gazing (1982)

11月10日、月曜日の晩、”Predator: Badlands” (2025)を見る前に。これも16mmでの上映。
最初と最後に水晶が映し出される。丸くてまっすぐに光と像を通してくれない水晶。

サッチャー政権下(この特集が始まって、彼女のトークを聞いていくと、サッチャー政権下のUKがどれほどひどいダメージを受けて変わったかが何度も語られていて、やはりそうだったのか、になった)のロンドン市民の生活を3人の主人公を中心に描いていくのだが、うちひとりのKimを演じるのがX-Ray Spex~Essential LogicのLora Logicで、映画のタイトルもバンド解散後の彼女のソロ” Pedigree Charm”のなかの曲名から採られている。(レコードは実家にあるので確認しようがないわ)

彼女がライブをしている映像もでてきて、ここでドラムスを叩いているのはCharles Haywardだったり、彼女がレコード屋に入るシーンがあって、そこはやっぱりオリジナルのRough Trade(1982年の!)だったり、いろいろ興味深い(いやそっちじゃないだろ)。

この翌日にかかった短編”AMY!” (1979)でも、主人公の女性がこちらに向かって下地からメイクをしていくシーンで、X-Ray Spexの”Identity” (1978)が轟音でフルで流れていったり、彼女の問題意識に当時のパンク/ポストパンクシーンの女性バンドなどがどんなふうに関わって影響を受けたり受けなかったりしたのかについて – どこかに纏まっているかもだけど - 聞いてみたいと思った。

まだ続いている特集で、これからも見ていくので、振り返りながら書けるものがあったらまた。

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